横浜合唱協会
Yokohama Choral Society

 
第72回定期演奏会

第72回定期演奏会"ヨハネ受難曲"
Cond.:柳嶋耕太
Eva.:藤井雄介,Jesu:小笠原美敬
Bass:小池優介,Sop.:中山美紀
Alto:小川明子,Ten.:小沼俊太郎
Orch.:プロムジカ使節団
撮影:©Promusica Continuo Co., Ltd.

Yokohama Choral Society

ただいま稽古中
第73回定期演奏会

シュッツ、バッハ、マルタン、ペルト---「キリスト教合唱音楽の大作曲家による名曲」が時代を大きく跨いで並んでいます。時代だけでなく、テクストと音楽の関係性、様式、リズム、旋律、ハーモニー、音色、どの視点からみても幅広い要素を有した楽曲が実際に並んでいます。合唱団+パイプオルガン+通奏低音+みなとみらいホールというひとつの生きものとしての音響的身体を共有しながら、それらが一体どのような響きの変化をもたらすのか、楽しみでなりません。また、すべての楽曲が「祝福、そして平和への祈り」という一貫したテーマを下敷きに布置されています。だからと言って一定の聴き方を強いるものではありませんが、このコンサートを客席で共にするという体験をとおして、このことに思いを馳せる一瞬が皆さまに訪れることを淡く期待しながらコンサートづくりに励んでいます。

柳嶋耕太(常任指揮者)

上記文をチラシ用に柳嶋先生からいただいたので、これを有効活用しようと広報委員長が、「ぢゃ、やまださんヨロシク」と昔のコーナーのようなものを復活(泣)。下の文はやまだの独断と偏見による稽古内容の記述です。稽古の様子を(少し遅れてその一部を)お伝えします。本番まで続けられるか?ちなみに、表題の「ただいま稽古中」はチラシ文と一緒に柳嶋先生からいただいたタイトルです。

 
 
2024.01.20.
本日と次回は楽器合わせ。港南公会堂の舞台での稽古は意識を上げる。
 前半の稽古はオルガンとチェロの通奏低音を加えたSWV372,373とBWV225で、ピアノとは異なる連続音の出る楽器が入ると雰囲気は随分と異なる。シュッツとバッハの曲は稽古回数もあり、それなりに歌えてきているため通低が入ることでの対応と細かいところのブラッシュアップ。BWV225はパート毎にまとまるよりパートをバラした方が良いとなり以下のモードで歌う。

 後半は通低なしで無伴奏曲の気になるところを取り出しての稽古。ここも細かい箇所の指摘と確認。最後にマルタンのSanctusを止まる事なく通し残響がイイ感じで終了。が、録音を聴いてアラが色々と。次回に生かせるか?
2024.01.13.
本日と次回と次々回の楽器合わせの3回の稽古で本番。もう後がないため、緊張感は上がる。
 今回は楽器合わせに向けての稽古が中心。通奏低音と合わせるにあたり柳嶋先生が気になる部分を中心に。稽古の歌い始めは体が充分でないのかもう一息モード。が、歌い込んでいるうちに喉も温まり緊張感も増すのか、イイ感じに。時々気持ちの維持ができないのか、ただ単に持久力がないのかは不明だが、気の抜けた演奏になると柳島先生のストップがかかる。最後まできちんと歌い切ることを求められる。後半はペルトとマルタンの一部。ペルトは合唱として腑に落ちてきたのか、(やっと)身についた歌となる。マルタンは一部と残り時間が押しているところで課題のAgunus Dei。Agunus Deiは前回のこともあって終盤までは流れを掴むが、新たな宿題も。
2024.01.06.
年の始めの稽古。28日に演奏会なので新年気分よりは緊張感の方が高く、稽古の前後と休み時間は演奏会担当を中心にあちらこちらで打ち合わせ。
 今日の稽古のテーマは言葉。曲は柳嶋先生が気になるところを中心に色々と。今までもそうですが、言葉としての質感をいかに上げるかが課題の中心。所々に音程やリズムの不安な箇所や基本的な歌い方の確認も混ざりますが、言葉を喋るブラッシュアップが中心。時間が限られている中なので、確認や指摘をされるもその箇所を再度歌わない事があり、お持ち帰りの宿題状態(^_^;;;)。次に歌う時はきちんと訂正できるか?
2023.12.23.
本日は年内最後の稽古で神奈川公会堂。ここも西公会堂と同じ歌い方なのだが、会場の残響がそれなりにあるため、比較的歌いやすいホール。指揮者は舞台上になりますが。
 先週、柳嶋先生よりマルタンのミサを全曲通すと言われる。前半はこの曲の細かい点を部分的に調整し、休憩後に全曲を通す。最初のKyrie終了後すぐにGloriaになだれ込む予定が、一旦仕切り直してGloriaへ。Gloriaは意外に長いがナンとか通る。GloriaとCredoの間は予定通りインターバル。Credoも長丁場だがこれも一応クリア。で、課題のSanctusだがコレもギリギリで通る。そして終曲のAgnus Deiは比較的歌っているのでナンとかなると思いきや途中でコケる。色々と罠が転がっている曲なので油断大敵、12月2日には相互に影響して盛り上げることができたので、コレからの歌い込みが課題。
 稽古の後は4年ぶりの納会。東神奈川近くの中華店で1次会はいつも通り(?)。2次会以降がドーなったのかは怖くて聞けません(^_^;)。
2023.12.16.
本日は西公会堂。使う中でどのように歌うと稽古しやすいかが掴めてくる。ここでは合唱団が客席の前の方に固まるのが相互に聴きやすくイイ感じ。指揮も舞台から降りたところが把握しやすい模様。ホールとして見ると、かなり異様な光景かもだが、相互に聴きあう合唱の稽古の体制としてはベターかと。ま、ホール自体が残念な残響なので仕方ないが…。前回のかなっくと比較すると余計にナンですが………。
 本日の稽古はマルタンが中心。CredoとSanctusを取り上げるも歌えるところと歌いきれていないところがハッキリ。両者とも弱点の傾向と対策は同じなので、一層の意識した歌い込みが必要。色々と修正もあるが、和音にも慣れてきたこともあり、少しづつそれらしくなっている模様。
 先日のマルタン指定の合唱団の並び方は、当会には今一つで、現在は以下の並び。もっとも、みなとみらいの状況により急遽並び替えの可能性もあるので、ご参考までに。
現在の各パートの並び方
指揮者
 
Sop.
2
Alto
2
Alto
1
Sop.
1
Ten.2Bass2Bass1Ten.1
2群コーラス1群コーラス
2023.12.09.
久しぶりのかなっく。以前2回の稽古では前の使用団体が反響板を使用していたのでそのままステージ上で歌ったが、本日は反響板はセットされておらず、しかもセッティングに時間がかかるので、結局使用せず。その関係で歌う場所が客席かステージかでウロウロするも、柳嶋先生の判断でステージ上で。反響版がなくともホールとしてそこそこの反響があるのは歌う方としては有り難い。
 発声練習の後はシュッツの2曲。合宿にて少人数で歌っているので、かなり慣れてきてはいるが、細かい部分のブラッシュアップが続く。そして繰り返すことでの歌い込み。後半はマルタンのKyrieとGloria前半。それなりには歌えてきているが、まだ細かい部分が色々と。ただ、音はほぼOKで曲の流れは掴みかけており、積極的に歌うようにと柳嶋先生。もう少しでそれなりになりそうな雰囲気。この曲ばかりではなく常に他パートとの相互の和音・タイミング・歌い方など耳で聴くことが継続的指摘事項。歌うと自分の音で精一杯にならぬよう余裕を持たせることができるか?
2023.12.02.
前半はBWV225の3部。ざっと全体で歌い、いきなり少人数(各パート2名)で歌うことに。以前の稽古中に柳嶋先生がここも少人数でやってみましょうと囁いた記憶。この曲もかなり歌い慣れてきたので、各グループそれなりに。第1コーラスと第2コーラスの掛け合いや言葉のブラッシュアップが課題。
 後半はマルタンのAgnus Dei。BWV225の3部では第1コーラスと第2コーラスの性格はそれほど大きく違わないが、この曲では大きく異なる。第2コーラスは四分音符を基調とした背景、第1コーラスはユニゾンを基本とした旋律、歌詞は両者とも「Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis. (神の⼦⽺、世の罪を除きたもう主よ、私たちを憐れんでください。)」の繰り返し。それぞれは独立したものだが、柳嶋先生が歌う時のポイントを押さえ、相互の影響で祈りの気持ちの高まりを表現できる、ようになったと思う。そして最後の4小節は8部合唱(9パート)のホモフォニック「dona nobis pacem. (私たちに平和をお与えください。)」に結びつくのですが、現在の世情を反映したこの歌詞がうまく表現できるか?
2023.11.26.
演奏会を約2ヶ月後に控え、演奏会でオルガン伴奏をお願いした山口綾規先生の伴奏での稽古。曲はシュッツの2曲、BWV225、ペルトのBeatitudines。
 西公会堂なので電子オルガン持ち込み、小型のギターアンプで増幅すると余裕で充分な音量。ピアノとは異なる持続音なので、今までとは勝手が違う。チェロも基本は持続音なのでこの感覚を意識しないと危険がアブない。よく楽器よりピッチを高くしないと合唱が埋もれると言われるが、ビッチ以前に低い!(T_T)。どれだけ耳を使えるかが課題!
 ある程度歌い込める時期にこのオルガンの稽古の意義は大きい。ま、山口先生と直接お会いして演奏会について担当が詳細の打ち合わせをする、っていう重要なミッションもあり、こちらの方がより大事。
2023.11.19.
広報委員長より朝富士で記念写真だ!となり、お約束の1枚。晴れればこの眺めが東山荘のイイところ。下の記念写真ですがこの人数だと日射とヒキがないので広角レンズ使用となり、富士が小さいのはご勘弁を。

 午前の前半は男女別・パート別で確認作業。後半は全パート合わせで先日の宿題、マルタンのSanctus。パート練習で確認を行なったためかナンとか最後まで通る。やれやれ。
 午後の最初はマルタンのGloriaとCredo。この2曲は歌詞に合わせて表情やリズムが大きく変わるところが難しいが、ナンとか歌い慣れてきている模様。この変化を楽しめるところまで追い込めるか?あと午前に稽古したSanctusの確認。この後の休憩後は、以前に予告されていたBWV225の2部アリアの稽古。12人による演奏で、当初色々と不安要素があったようですが、それなりにまとまる。アリアメンバー以外(コラール組)は少し長い休憩だったので、富士山をじっくり見たりで、ゆったりと過ごした模様。
 午後の後半はBWV225とペルト。BWV225はメリスマを含む動きや和音でバラバラ感が強いのとドイツ語の喋り感が不足しているのが当面の大きな課題。基本的に各パートが独立して動くところでは、他パートとの相互の動き・和音の捉え方が曲が速いだけに難しい。喋りは音符の意識が強過ぎるからなのだが、ワカッちゃいるけどやめられない(アレ?)。というわけで、歌いながら柳嶋先生と対策を考えるモード。どうなるか?
 で、最後はペルト。曲そのものには慣れてきたが、リズムと音程(っていうか和音)が緻密なので、これにどのように順応するかが当面の課題。ただ、集中的に歌う事で少しづつ馴染んできている模様。
 終わってみるとももう少し、の部分がある合宿でした。
2023.11.18.
合宿は短い期間に通常よりも長い時間の稽古が可能なため、密度が高くなり効果が高い。そんなワケで久しぶりの東山荘での合宿。
 今回は1日目はヴォイストレーナーの星川先生にもお願いして発声面からの指導をと、最初の全体発声と女声の歌い方をみていただくことに。
 まずは技術系メンバー主導で体操をするも、星川先生から「最後の動作は、前のお手本の方の動作がよく見えなかったのですが、皆さん動作がバラバラでしたね❤️」と始まり、リラックスした雰囲気で全体の発声をみていただく。この後、女声は柳嶋先生の指揮で今回の曲を歌い、星川先生に聴いていただく。これを受けて星川先生による女声の発声を含めた歌い方指導。この間、男声はパート別音取りを行った後、柳嶋先生による「男声まとめて稽古」。「男声まとめて稽古」は狭い部屋での反響もあってか男声合唱団モードで妙に盛り上がり、男声による和音の基礎部分を体得できた模様。女声は星川先生より色々とアドヴァイスを受け、最後に楽しい事や良い事をイメージして歌う稽古。これは色々と実証されていることで、楽しい・嬉しい気持ちになると体の色々な部分が変化することを使ったモノ。声や音程などが明らかに変化するので、側から見ていると面白い。ウチは変に生真面目で表情が硬いと言われており、笑顔の意識って大事なんですね。この後は夕食で、星川先生はお帰り。
 夜の部は、予告済みのシュッツ少人数アンサンブル。合宿参加者名簿があったので、その順にCantus(Sop.1)が1名、Quintus(Sop.2)が1名、Altus(Alto)は2名、Tenor(Ten.)1名、Bassus(Bass)1名の計6名で歌う。ランダムに並んでいるので各班毎に個性が出る中、前の班の代表が良いところを言ってもらうことに。良い内容を指摘するためには真剣に聴く必要があるので緊張感。男声は人数が少ないので2巡メンバーもいる中で、とりあへず終了。相互に和音やリズムを合わせる稽古として有効に機能している、はず。

この後は、これを受けてシュッツの全体合わせ、ドイツ語の流れをまだ掴みきれていない。そして、マルタンのミサよりキリエ、これもそれなりには歌えてきているが、曲としての流れが課題。と進んでタイムアウト。
 
 この後はお約束の飲み会。思いの外集まって大変なことになっていましたが、テキトーに解散(^_^;;;)。やれやれ。
2023.11.11.
前回のマルタンのミサ・Sanctusの宿題部分は飛ばして後半のBenedictus(この曲ではSanctusとBenedictusを合わせてSanctusになっているが、本来はこの形、らしい)。ここも前半と同様に音程・リズム共に難しいが、少しばかり歌いやすい構成。歌詞を考えて主体的に、かつ他パートを意識して歌うことを柳嶋先生から要求されることで、少しばかり形になってきた模様。
 後半はBWV225。稽古は2部、(3人)×(4パート)=(12人)のSoliによるアリア、残りのメンバーによるコラール。Soliはナンとかなりそうなので細かい合わせは合宿で、となる。問題はコラールで、言葉8割・音楽2割で喋りの表現をしっかり出すように、と。言葉の流れ・抑揚などを意識するように言われるが、どうしても符面の物理的な部分に意識が偏ってしまう。どこまで追い込めるか?
2023.11.04.
今回の前半では73回定演の中で難曲の1つ、マルタンのミサ・Sanctus。マルタンのミサは全体的に苦手意識が漂うが、Sanctusは音程・リズム共に複雑。稽古が遅々として進まず、最終的には各自取り直すようにと宿題となる。さてどうしたものか? しかし、思い返すと堅田先生のDona nobis Pacemも初めの頃は似たような感じだった、かも。あの時はコロナ禍で自習時間も多かったこともあってか、ここまで表在化しなかった? まずは個別の確認から。
 後半はペルト。ペルトの曲は緻密に構築されているので、「とりあえずそれらしく歌える状態」から「きちんと構成されたもの」へ追い込む作業。言葉で書くと容易なのですが、繊細な要素が多くかなり苦戦中。
2023.10.28.
先週に引き続きかなっくの舞台上での稽古。舞台は狭いがこの密集さ加減が聴き合うのには良い環境、かも。ホールの残響もそれなりに良いし。
 前半はマルタンのミサよりクレドの後半。柳嶋先生より丁寧な指導があり少しづつ変わり、和音を含めた雰囲気がそれなりに形成されていく。音楽に慣れていく過程のためか、変化量が大きいのはイイ事だが、この伸長が継続できるか?
 後半はBWV225の第1部。個人個人は、程度の差はあれ、それなりに歌っているのですが、柳嶋先生からは自パートばかりでなく他パートの複数名を意識して歌うよう指示。聴いたフィードバック等がどれだけ相互間で有効に働くかが今後のポイント。実は、稽古後の回覧で技術委員長からは「歌えているつもりになっているだけで、音楽的には一番まずい状況ではと感じてしまいました。」と。さぁ、解決なるか?
2023.10.21.
本日のかなっくホールは前の使用団体が舞台上の反響板を設置した為、久しぶりの舞台上での稽古。まぁ、かなっくホール自体は良いホールなんですが、舞台の規模がそれほど大きくないので70人を超えるウチの稽古にはちとキツい。
 稽古はマルタンのミサで前半はAgunus Dei、後半はCredo。Agnus Deiはホールの響きも含めてナンとかそれらしくなってきた模様。でも、まだスタートラインに立ったようなモノなので、本番までにどこまで追い込めるか? 後半のCredoは基本的なところの押さえが多く、音程・リズムの共有・発音等々課題は多いが、柳嶋先生が1本ずつ紐を解いてゆく様に指導されることで少しづつ解消の方向へ。
 で、マルタンのミサで楽譜に指定されている並びを下に(下図はその内容。掲載画像を直接上げるのはトラブルのもとなので)。
楽譜に指定された各パートの並び方
指揮者
 
アルト
2
ソプラノ
2
ソプラノ
1
アルト
1
バス
2
テノール
2
テノール
1
バス
1
2群コーラス1群コーラス
2023.10.14.
本日は歌う予定曲が数曲指定されていたが、結果的にほぼMartinのAgnus Deiで終わる。以前にも書いたように2群は最後を除いて、ほぼ四分音符で一定リズムを刻む設定。歌うとどうしてもリズムを強調する歌い方になってしまい、言葉を話していない、と柳嶋先生。あくまでも言葉を優先して、子音の付け方と音程の保ち方を工夫するようにとの指示。気持ちの上ではイメージができても、自分が物理的に実行できているかはナゾ。
 ちなみに、以前の稽古での柳嶋先生解説では、2群の刻みはイエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登る情景をイメージできるのでは?、と。 Agnus Deiは神の子羊と訳され、十字架にかけられるイエスを生贄とされる子羊として象徴しており、非常に納得。
2023.10.07.
本日も基本はパートをバラけて歌うモード。さらに、マルタンのAgnus Deiでは群に関係なく歩きながら歌う事で、色々なパートをそして全体を意識する稽古。この曲の構造は1群は全パートで基本ユニゾン。後半で2部、最後に4部合唱。2群は終始リズムと和音を刻み、最後に4部合唱(よって全体は8部)。時間軸があるので、すれ違うメンバーにより音が異なり、和音感と自分の音の両者を保つのが大変。終了後に演奏を20回聴くようにと宿題も。
 また、BWV225では極端に指揮者に近い位置で囲むようにして歌ってみる。歌い手が近いと互いの意識が近くなる、気がする。でも、楽譜ガン見のメンバーには伝わらないンだろうな。やれやれ。
2023.09.30.
本日の稽古はマルタンのミサから"Kyrie"、シュッツのSWV373、そしてバッハのBWV225。各曲とも音の怪しいトコロ、発音が日本語なトコロ、文章になっていないトコロ、リズムが崩れているトコロ、等々と指摘される。2周目なのでヘタに癖がついてしまうと、あとが大変。それだけに仔細に修正される。
 そんなバタバタ状態なので、カンケーないところまでバタつく。旋律に慣れたのか音程がビミョーに低いため、某パトリが席を時々移動して歌う。すると他パートメンバーが「自分が原因?」と過剰反応をする。やれやれ。まだ充分に歌えていな状況からなのか?でもこの山を越えないと次に繋げないのでココが頑張りどころ。
2023.09.23.
本日の稽古ではマルタンのミサ"Gloria"と"Kyrie"、そしてペルト"Da pacem Domine"の予定が、結局前回の続きの"Gloria"が終わったところで終了。2周目ですが、まだまだ音が怪しく、しっかりと確認作業。和音の推移がオシャレで目立つため、音取りが甘いところは当然の如く捕まる。この曲は楽譜に1群と2群のパート配置が描かれており、当初はこの配置で並んでいたが、柳嶋先生より相互の音を聴くため各群の中でバラバラに。近くの異パートとの和音・遠くの同パートとの音合わせ・異群との和音と、キマれば「をを」となる曲だけに耳(とそこから続く運動系)の重要性が問われる。当然、和音ばかりでなくリズムってのもあり、こちらはさらに難敵。楽譜に表記されているリズムだけでなく、広く楽譜を見てリズム取りが必要な部分も多く、かなり苦戦中。
2023.09.16.
最近、柳嶋先生の発声稽古の終盤に和音の中の音を取る稽古が入る。例えば、ピアノで「ドミソ(移動度)」の音を鳴らしたところで、第1音(ド),第3音(ミ),第5音(ソ)の指定された音を出す稽古。和音を聴いて音を出すのは、音程も怪しい身なので音を聴いてから出すまでのラグが長く、反射的に出せるメンバーが多いのはツラい。しかし、和音を作る上では重要なので、しっかり慣れておく必要性があり必死モード。
 その昔、八尋和美先生が和音を取る稽古と言われ、もっとハードな稽古を設定。さすがにあれはキツかったが、その前提としてハーモニーディレクター(という商品名、だったと思う)を使われて、純正律の和音を確認。じっくり聴くと納得できるが、反射的にはなかなか難しい。
 
 この純正律や平均律については、興味のある方は是非調べてみてください。音楽で実現させるとなると深〜い沼が待っています(^_^;;;)。
2023.09.09.
ペルトのBeatitudinesの稽古では発音と音の確認が中心。歌詞はラテン語だが頻繁に歌われる歌詞ではないので、意外に苦戦。しかもこの曲の基本的構成は、アルトが定型化されたグレゴリアンに似た旋律を歌い、バスがその対旋律、ソプラノとテノールが和音を担当する珍しい形式。慣れない旋律に戸惑っているのか、不協和音に振り回されているのか、アルトが大変なことになっている(そこはしっかりぶつけて目立って歌うところでしょ(元アルト談))。しかし、これがキマるとイイ響きが生じる。柳嶋先生曰く、これを残響が何秒も残る教会だと、より強調されて美しく聴こえる、と。八尋先生がペルトにハマったのもそんな条件だったとか。
 稽古後半はBWV225の1部。全員で2群を歌いながら和音を聴き確認する。当然の如く、1群と2群に分かれるがパートはバラバラに並ぶので、近くの異パートとの和音・遠くの同パートとの協調・そしてリズムの取りと同時に並行して確認。しかもこの後、再度並び替えを行い周囲のメンバーシャッフル。周囲のメンツが変化してもその状況に合わせて聴き歌う稽古が続く。
2023.09.02.
前半はシュッツのSWV373。前回同様、言葉を喋る稽古。歌詞や音が違っていても、言葉を喋る部分で引っかかるところは似たような箇所。どうしてもドイツ語の「単語」に意識がイってしましい、文節や文章の流れにならずに苦戦中。発音もすぐに日本語的浅いものに戻ってしまうのも注意点。曲が良いだけに流れをうまく作ることができるかが課題。
 後半はペルトのBeatitudines。これは発音と音の確認。8月5日の稽古で色々と問題が噴出したため、すぐに柳嶋先生より発音の資料が送られてくる。音も含めて取るようにとの指示があったため、とりあえずは改善される。が、まだまだ大変な模様。
2023.08.26.
前半はシュッツのSWV372。シュッツは時代背景もあって、彼の宗教合唱曲は残響の多い教会の中で少人数の演奏を想定した作品が多い。Youtube等に出ている録音はそれを前提とした編成で演奏されることが多いため、かなりの少人数合唱が基本。それを大人数のウチがトライするので、ある意味チャレンジャー。ま、細かいところは柳嶋先生が調整してくれるはずですが、現在、前提の部分で引っかかる。それが「言葉」。今回の演奏作品は2曲セットで、ドイツ語の歌詞。ところが、どうしても音符を単位として歌ってしまい、「文章としての流れがない」と言われ、ダメ出し多数。文章としての流れ80%の中に、音を20%と厳しい欲求。しかも注意が文に向くと発音が浅くなり、またダメ出し。こんな調子でなかなか曲が進まないのが現状。この手は歌詞に対して曲がつけてあるので、文章を意識した歌い方になるのが当然ナンですが、油断するとすぐに発音やリズムなどの別の箇所が甘くなるので要注意。どこまで追い込めるか?
 前回同様、後半はBWV225セレクション。前回の欠席者等が少なかったせいか、あっさり終わる。残りはBWV225の冒頭部。この曲も言葉の注意中心。後で聴いてみると、言葉を直すことでカオス感が減っている、ような気がする(^_^;;)。
2023.08.19.
合唱が1群と2群に分かれるBWV225は、曲の流れとして大きく4部に分けられる。この第2部は1群がアリア・2群がコラールをそれぞれ交互に歌う。今回は当初全曲で1群と2群は合唱団を等分する形で構成する。が、稽古を進める中で、この第2部については、アリアを各パート3名程度の少人数合唱、コラールを残りのメンバーで歌うようにしたいと柳嶋先生から。そこで、人選のために各パート3人づつでアリアの前半を歌い、柳嶋先生がセレクト(グループではなく個人個人をセレクト)することとなる。
 そのセレクションが稽古後半に行われる。女声が多いため男声は複数回歌う、欠席予定者がいるので次回との2回で行う、と予めアナウンスされ実施。コラールは残りのメンバーが歌うことになるが、各グループでアリアに個性が出る。面子の組み合わせでも変わる部分も大きいので、ナンとも言えない面もあるが…。ちなみに、「アリアはパスでコラールを歌いたい」も可だが、全員パスなしの前向きなパートが一部で話題に(^_^;)。ま、それはともかく、聴きに来ていただける方は、Youtubeにある色々な合唱団の演奏で予習(^_^;)は可能なので、どのような雰囲気になるか、ご期待を!
2023.08.05.
この日は初めての西公会堂。地元民には横浜駅から歩ける多目的ホールとして比較的知られている。さすがに建ててから時間が経つため、客席は大幅に衣替えをされ、ピッチが広がり鮨詰め感は減少。しかし音響や舞台関係はそのままで、残響は見事なほどナシ。
 最初は舞台で歌っていたが、あまりものデッドさ加減に流石の柳嶋先生も参って客席で歌う。が、まだまだ音取りモードから抜け出せないのか、注意をされても自分ごととして受け取れないのか、合唱が相互に聴き合うマインドが足りず反響がない事もあって大変なコトに、やれやれ。それもあってか、全パートバラバラになって歌うことに。これはかなり危機的な状況。さぁ、どうする合唱協会?

 

Yokohama Choral Society

こんな曲です
曲目を簡単に(?)紹介

H.Schütz(H.シュッツ)(1585〜1672):
「宗教的合唱曲集」

ハインリヒ・シュッツ63歳の1648年に出版された「宗教的合唱曲集」は、合唱曲として「集大成」ともいえる作品であり、宗教曲を演奏する合唱団にとっては今日も重要なレパートリーの1つになっています。
 1648年は、1618年に始まった三十年戦争の終年ですが、シュッツはこの間に妻を亡くしており、つらい時期を過ごしました。それでも何とか作曲家として持ち堪えたのは、彼に対する作曲家としての名声であり、声楽曲に対する様々な形式の実践と成果ではなかったかと思います。
 「宗教的合唱曲集」は同時代の過度のマドリガル的かつ大げさな効果の排除によって程よく整理されました。シュッツはこの出版において、おもに芸術と秩序の観点から取り組んだことが、ライプツィヒの市参事会と聖トーマス教会合唱団(トマーナコア)に寄贈した曲集の彼の序文から明らかになりました。
 今回は「宗教的合唱曲集」から「恵み深く私たちに平安を与えてくださいVerleih uns Frieden genädiglich」(SWV372)と「私たちの君侯と上に立つすべての権威に与えてくださいGib unsern Fürsten und aller Obrigkeit」(SWV373)の2曲を取り上げました。「宗教的合唱曲集」は29曲からなる、シュッツの礼拝式用モテットのレパートリーを示しています。第1曲〜第12曲は5声、第13曲〜第24曲は6声そして第25曲〜第29曲は7声と、曲の声部数に従ってまとめられています。
 この2曲はともに5声で、本来1つのコラールとしてセットになっていますが、この成立過程において、SWV372の歌詞はラテン語のアンティフォナ(交唱)「Da pacem domine」に基づいて、マルティン・ルターが1529年にドイツ語に訳してコラールにしたものであり、続くSWV373の歌詞は、ヨハン・ヴァルターが1566年に新約聖書の「第1テモテ」第2章,1節〜2節に基づいて付加した詩節で、この間に37年の歳月が流れています。「宗教的合唱曲集」の初版の目次から、シュッツは1つのコラールとして意識しながらも別々の曲と見立てて作曲したことが窺えます。

(会員:や)

 

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)の
のモテットについて

ヨハン・セバスティアン・バッハはシュッツのちょうど100年後の1685年にドイツのアイゼナハという街で生まれました。その後、学業、職業の関係で、活動の場と期間は概ね以下の通りとなっています。

・アイゼナハ時代(1685〜1695)
ルターゆかりのヴァルトブルク城のある街に誕生
・オールドルフ時代(1695〜1700)
両親を亡くし長兄ヨハン・クリストフのもとへ
・リューネブルク時代(1700〜1702)
給費生として聖ミカエル教会聖歌隊と学校に在籍
・ヴァイマル時代[第1次](1703)
ヴァイマル宮廷でヴァイオリンまたはヴィオラ奏者
・アルンシュタット時代(1703〜1707)
新教会(現バッハ教会)のオルガニストとして就任
・ミュールハウゼン時代(1707〜1708)
聖ブラジウス教会のオルガニストとして就任
・ヴァイマル時代[第2次](1708〜1717)
宮廷オルガニストとして就任、その後楽師長に就任
・ケーテン時代(1717〜1723)
宮廷楽長として就任
・ライプツィヒ時代(1723〜1750)
聖トーマス教会のカントルとして就任

今回演奏致しますバッハのモテットBWV225は他のモテット(BWV226〜BWV229)も含めライプツィヒ時代に作曲されました。約300年前ということになりますね。これらの作品はバッハの自筆譜や他者による筆写譜で、総譜あるいはパート譜として残っています。
 バッハのモテットはいわゆる機会音楽(誰かに依頼されて誕生日やお葬式用などに作曲し演奏する音楽)ですので、特に葬儀用などは不幸にもどなたかが亡くなって初めて依頼を受けますので、演奏するまでの時間に余裕がなく、すぐに対応しなければなりませんね。
 ただ実際に演奏するまで具体的にどのような過程を経るのでしょうか。依頼を受けたら、まずバッハが総譜を書き、それを基にバッハやバッハの奥さん、子供、お弟子さんなどがパート譜として書き写し、そのパート譜を見ながら稽古し、演奏に臨むことになります。
 当時は2人か3人で1つの楽譜を見ていたと考えますと、そのパートに4人いればパート譜も2セット準備する必要だったということになりますね。とにかく今日のようにコピー機はありませんので、全てが手書きですからそれだけでも大変な作業です。これに楽器が付く場合は、そのパート譜も必要になります。
 さらにそれができたら今度は稽古に入ります。時間もない中、手書きで作成したパート譜ですので、音符が間違っている部分もあったかもしれません。そこはバッハがチェックして、変更があればパート譜に訂正を加えましたし、稽古中により良い演奏を思い浮かんだ時も、大抵はパート譜に書き入れたと思います。そして演奏当日に間に合わせたのです。したがって、今日まで総譜だけしか残っていない場合は、ひょっとしたら細かなところで総譜とは異なる演奏をしたかもしれませんね。
 バッハはこれを数日の間に行ったことになります。それはバッハだけではないとも言えますが、今日においても世界中で頻繁に好んで演奏される曲が残っていることを考えますと、やはりすごい作曲家ですね。
 今回演奏します『主に向かって新しい歌を歌え』BWV225は自筆総譜もオリジナル・パート譜も現存していますが、この曲が新年用なのか葬儀用なのか誕生日祝賀用なのか或いはその他の機会用なのか、残念ながら今日までわからないままになっています。
 バッハが楽譜のどこかに「日付と使用目的」を記入していれば何ら問題ないのですが、少なくともこの曲についてはそれらの記載がなかったために、後世の研究者はそれを追い求めることになったのですね。
 その研究の成果の一つとして、この曲が1726年6月~1727年4月の間にライプツィヒで成立したことが分かりましたが、どうしてわかったのでしょうか。
 それは主にバッハやバッハ周辺の人物の筆跡そして楽譜に用いた紙の透かし模様から判断しています。現存するバッハの楽譜を中心に、いつの時代のものかが判断できる筆跡や楽譜用に購入した紙の透かし模様をデータとして集め、それとの比較によっていつ頃その曲が成立したかを判断しているのです。勿論これらの方法はこの曲に限ったことではありません。
 誰しもそうですが、バッハにおいても筆跡は年齢とともに変化しますので、それをデータとして取り入れ、検証対象のものと比較して成立年を絞り込んだり、楽譜に使用された紙には、色々な製紙工場が独自のトレードマークを透かし模様として施していたため、それをもとに成立年を絞り込んだりすることも可能でした。紙を作るときには針金を使用しており、その針金で例えば「双頭の鷲」や「紋章」や「複数のアルファベット」などのトレードマークを作成していました。当然のことですが、当時はステンレスがありませんので、針金は徐々に錆びていき一部が欠けてしまうこともあるのですが、それを経年変化ととらえ、同じトレードマークでもそれによってどちらの紙が古いかを確認できることもあります。
 バッハの作品の成立年一つとっても、様々な角度から「より正確さ」を求めているのですね。
 このような経過を経てBWV225は成立年が絞り込まれましたが、このことからバッハはライプツィヒ時代(1723〜1750)の4年目を過ぎたころ、年齢は40歳を過ぎたあたりですので、脂ののった時期とも言えますね。この曲はイタリアの協奏曲風に急-緩-急の3部構成となっています。バッハはヴァイマル時代(1708〜1717)にそこの宮廷でヴィヴァルディの協奏曲をオルガン用に編曲しています(BWV593など)が、それも同じ形式です。演奏会当日のプログラムでは別の観点から曲目解説していますので、是非ご来場いただきますようお願い致します。

(会員:や)

 

「無調音楽」「十二音技法」との対峙

19世紀末にはワーグナーやドビュッシーたちが和声学上の極限まで「調性の拡張」を展開し、「調性破壊」ぎりぎりの領域に迫りました。
 20世紀に入ると「これ以上調性の世界で何ができるか?」、「そもそも調性の概念は?」とか「不協和音を如何に解放するか」等々が模索されます。そしてシェーンベルクらの探求によって「無調音楽」「十二音技法」が提唱されました。
 今回取り上げた「マルタン」「ペルト」も若き日にこれらの課題に熱心に取り組み、結果として2人は対照的な独自の作風を生み出しました。

(会員:よ)

A.Pärt(A.ペルト)(1935〜 ):
"Da pacem, Domine"
「主よ、平和を与えてください」

シンプルな構成に響く不協和音の美しさ

「十二音技法」を身につけたペルトですが、それによって独創性を発展させることに行き詰まります。結局「西洋音楽の根源へ回帰」し、古楽に没頭します。さらに音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる「ミニマリズム音楽」を追求します。そして1976年頃に生み出したのが「ティンティナブリ様式(小さな鐘)」の作曲技法です。
 Da pacem Domineは2004年の作品で、要所にこの「ティンティナブリ様式」が現われます。
 曲の冒頭を例にして具体的に見てみましょう。
 ソプラノとテノールは「ドリア旋法」の主和音に基づく短三和音(レファラ)の分散和音を繰り返します。それに対してアルトはグレゴリオ聖歌“Da pacem Domine”を“レドレファソファ”と歌い進みます。その際、“ミ”や“ソ”の音で短三和音(レファラ)と2度音程でぶつかり“光るような音”を発します。このように要所に置かれた“小さな鐘の光るような音”の響きこそペルトが創出した「ティンティナブリ様式」です。この響きが生み出す神秘の静寂の世界で「主よ、平和を与えてください」が唱えられます。

(会員:よ)

 

A.Pärt(A.ペルト)(1935〜 ):
"Beatitudines"
「幸い」

古楽に回帰し「ドリア旋法」と「グレゴリオ聖歌」で構成した“Da pacem Domine”と対比的に“Beatitudines”では「幅広い調性」と「大オルガン」による力強い音楽となっています。
 この曲は1990年に英語版“The Beatitudes”として作られ、2001年に本日演奏するラテン語版“Beatitudines”に改作されました。
 歌詞は有名な「山上の説教」で、『マタイによる福音書』の「イエスが山の上で弟子たちと群集に語った教え」のことです。
 この教えの最も有名な部分はマタイによる福音書5章3節から10節までの「幸福なるかな、、、」と8回繰り返されるところです。ペルトが信仰していた正教会ではこれに12節までを加えた構成とし主日の聖体礼儀などで極めて頻繁に歌われます。
 全体は「幅広い調性」で規則的に作曲されていますので、その特徴を記します。
 詳細は下記分析表を参照。

  1. オルガン音はDesから始まり、6小節ごとに3小節の長さで、Gisまで半音ずつ上昇していきます。
  2. 各節ごとに「前半短調Moll、後半長調Dur」と交互に対比されています。
  3. その対比は、前半部の「心が○○○の人は」の問いかけが短調、後半部の「その人は○○○の祝福を受ける」は長調Durです。
  4. 調性進行はオルガン開始音のDesに合わせて、♭系でかつ♭の多い低い調性(f-Moll,Des-Dur)で始まり、中間部でのC-Dur、a-Mollを経て、#系となり、#の多い高い調性(H-Dur,gis-Moll)へと推移します。
  5. 合唱最後の音は「ティンティナブリ」です!
  6. そしてパイプオルガンが高らかに祝福を奏でて曲を締めくくります。

このように、「オルガン音の継続的な上昇」、並びに「高い調性への段階的な移行」が、「山上のイエスへの眼差し、祝福への期待」を描写しています。

ペルトBeatitudines(1990/2001)分析表
小節
Takt
マタイ福音書5章
3〜12節
調性オルガン
(小節:拍)
T0103節beati pauperes spiritu
幸いなるかな心貧しき人々
f-Moll (♭♭♭♭)
T02【3♩】G.P.
T03quoniam ipsorum est regnum caelorum
天国は彼らもの
Des-Dur
(♭♭♭♭♭)
Des
(3〜5)
T04【6♩】G.P.
T0504節beati qui lugent
幸いなるかな悲しむ人々
b-Moll
(♭♭♭♭♭)
T06【3♩】G.P.
T07quoniam ipsi consolabuntur
彼らは慰められる
F-Dur
(♭)
T08【6♩】G.P.
T0905節beati mites
幸いなるかなへりくだった人々
d-Moll
(♭)
 
D
(9:2〜11)
T10【3♩】G.P.
T11quoniam ipsi possidebunt terram
彼らは地を受け継ぐ
B-Dur
(♭♭)
T12【6♩】G.P.
T1306節beati qui esuriunt, et sitiunt iustitiam,
義に飢え乾く人々
g-Moll
(♭♭)
T14【3♩】G.P.
T15quoniam ipsi saturabuntur
彼らは満たされる
Es-Dur
(♭♭♭)
Es
(15〜17)
T16【6♩】G.P.
T1707節beati misericordes,
幸いなるかな憐れみ深い人々
c-Moll
(♭♭♭)
T18【3♩】G.P.
T19quiam ipsi misericordiam consequentur
彼らは憐れみを受ける
G-Dur
(♯)
T20【6♩】G.P.
T2108節beati mundo corde
幸いなるかな心の清い人々G.P.
e-Moll
(♯)
 
E
(21:2〜23)
T22【3♩】G.P.
T23quoniam ipsi Deum videbunt
彼らは神を見る
C-Dur
(♮)
T24【6♩】G.P.
T2509節beati pacifici,
幸いなるかな平和を造る人々
a-Moll
(♮)
T26【3♩】G.P.
T27quoniam filii Dei vocabuntur
彼らは神の子と呼ばれる
F-Dur
(♭)
F
(27〜29)
T28 【6♩】G.P.
T2910節beati qui persecutionem patiuntur propter iustitiam,
幸いなるかな義のために迫害された人々
d-Moll
(♭)
T30【3♩】G.P.
T31quoniam ipsorum est regnum caelorum
天国は彼らもの
A-Dur
(♯♯♯)
T32【6♩】G.P.
T3311節beati estis,
幸いなるかな汝ら
fis-Moll
(♯♯♯)
 
Fis
(33:2〜35)
T34【3♩】G.P.
T35cum maledixerint vobis,
人々が汝らを罵るとき
D-Dur
(♯♯)
T36【3♩】G.P.
T37et persecuti vos fuerint,
迫害し
h-Moll
(♯♯)
T38【3♩】G.P.
T39et dixerint omne malum adversum vos mentientes,
ありもしないことで悪口を浴びせる(とき)
G-Dur
(♯)
G
(39〜41)
T40【3♩】G.P.
T41propter me
私のために
e-Moll
(♯)
T42【3♩】G.P.
T4312節gaudete,
喜べ
H-Dur
(♯♯♯♯♯)
T44【3♩】G.P.
T45et exultate,
大いに喜べ
gis-Moll
(♯♯♯♯♯)
Gis
(45〜51)
T46【3♩】G.P.
T47quoniam merces vestra copiosa est in caelis,
天に報い
E-Dur
(♯♯♯♯)
T48【3♩】G.P.
T49sic enim persecuti sunt prophetas,
汝らより前の預言者たちも
cis-Moll
(♯♯♯♯)
T50【3♩】G.P.
T51qui fuerunt ante vos.
同じように迫害されたのだ
cis-Moll
(♯♯♯♯)
T52Amen.
アーメン
ティンティナブリ
上記凡例
【3♩】G.P.:3拍の休符
【6♩】G.P.:6拍の休符

(会員:よ)

 

F.Martin(F.マルタン):
”Messe pour double chœur a cappella”
「無伴奏二重合唱のためのミサ曲」

フランク・マルタンはW・ブルクハルト、A・オネゲルらとともにスイス作曲界の華やかな一時代を築いた作曲家である。1890年にジュネーヴで熱心なカルバン派牧師の家に生まれた。就学前からピアノの即興演奏を行うなど、早い時期から音楽の才能を見せていた。12歳の時にバッハのマタイ受難曲を聴き大きな感銘を受け、バッハを精神的な師と仰ぐようになる。大学では初めに数学と物理を専攻、途中で音楽に転向した。マルタンは教育にも熱心で、1926年ジュネーヴ室内楽協会を設立、1928年から1938年までジュネーヴのジャック・ダクローズの研究所で講師をし、新しい形で音楽とリズム教育を実践した。1942年から1946年にスイス音楽家協会総裁に就任。晩年はケルン音楽大学でも作曲を教えた。1974年にオランダ、ナールデンにて84歳で逝去。
 「無伴奏二重合唱の為のミサ曲」は1922年から1926年、マルタンの30代前半に作曲され1962年に初演された。彼のミサ曲には伝統的な単旋律の曲(グレゴリオ聖歌など)の影響が随所に見られる。また、「作曲の際には出来るだけ密接に言葉に従う事とした。」と彼が示すように、一つ一つのテキストには独特な性格付けがなされ、言葉毎に音楽が敏感に変化している。
 冒頭の「Kyrie(あわれみの賛歌)」の動きなどもその典型で、自由に流れるメロディは声部が重なりあうにつれて鮮烈な感覚の中に憐れみの嘆願の渦を形作っている。
 「Gloria(栄光の賛歌)」の冒頭では、穏やかで畏敬の念に満ちた中で、声部が積み重ねられたクラスターで始まり、その後に続くフーガ、ポリフォニー、そしてジャック・ダクローズのリズム理論に通じる多彩なリズムを伴って一気にミサの言葉が歌い上げられる。
 「Credo(信仰宣言)」では、特に言葉の表現が多彩に描かれる。「Et incarnatus est…」の部分の音楽は、マルタンにとっても信仰宣言そのものである。「lumende lumine」はとても明るく輝かしい。「Crucifixus」では象徴的に十字架の柱が立ち上がる。「Etresurrexit」では恍惚とした感動と共に復活を喜ぶなど、それぞれのテキストが雄弁に表現される。
 「Sanctus(感謝の賛歌)」「Benedicutus」は、共に控えめな表現から次々に声部が積み上げられ盛り上がる。そして繰り返し押し寄せる波のように「Hosanna」に向けて一気呵成に駆け上がりクライマックスを迎える。
 終曲の「Agnus Dei(平和の賛歌)」はなんとも個性的で、第1群、第2群の二つの合唱は全く異なったキャラクターで配置される。第2群が淡々とリズムと和音を刻み、第1群がそれと対比するようにグレゴリオ聖歌のような旋律を歌う。ここでは、淡々とした中に人間の内面に向けた強い祈りが繰り返し歌われる。最後の四小節は感動的。分かれていた二つの合唱が一つになって「Dona nobis pacem(われらに平安を与えたまえ)」と祈るが、ここで初めて純粋にG-durの明るい和音が現れ曲全体が閉じられる。たった四小節、一度だけの「Dona nobis pacem」であるが、この四小節のためにこれまでの全ての音楽が用意されていたと感じられる奇跡の瞬間である。
 マルタンは、このミサ曲を作曲から約40年もの間公表しようとしなかった。その理由は、はじめに彼の宗教観が極端な個人主義だったことによる。以下にマルタンの宗教と音楽に対する言葉を紹介したい。「それは神と私だけの問題で、他の人には何の関係もないことなのだ。」「今日、一般的に宗教的合意が存在しない状況では、宗教曲を創作しようとする芸術家は、真の共感を聴衆との間に得ようとしてもそれが不可能であるという事を認識させられる。その作品を聴衆はそれぞれの観点で捉えるであろうし、作者と同じ宗教観を持つ人でさえその形式と意味についての本当の関係を知ることはできない。」 そしてもう一つは彼が感銘を受けたバッハの影響である。バッハの作品に見る天才を前にして彼の努力が単に傲慢なものに過ぎないと感じてしまった彼自身の信念を拭い去ることが出来なかったのである。

(会員:と)

 
 
Yokohama Choral Society

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