J.S.バッハ「クリスマス・オラトリオ」について

 J.S.バッハ(1685−1750)の「クリスマス・オラトリオ」BWV248は、彼が残した大曲の一つであり、オラトリオと名付けられた3曲の中で最も有名な作品である。ドイツでは年々この曲の演奏が各地において盛んになっている由で、英語圏のメサイア、わが国の第九と同様、冬の風物詩ともいえよう。
 クリスマス・オラトリオの初演は、ライプツィヒにおいて、1734年から1735年にかけて行われた。すなわち、降誕祭第1祝日(12/25)、同第2祝日(12/26)、同第3祝日(12/27)、新年・割礼の祝日(1/1)、その後の日曜日(1/2)、顕現節(1/6)と、6部・64曲が教会の礼拝式に合わせて6日間に順次演奏されたものである。初日は午前・聖ニコライ教会、午後・聖トーマス教会、二日目はその逆というように、毎回、両教会で演奏されたことも興味深い。
 内容は、前半の3部がクリスマス(イエスの誕生と羊飼いたちとの出会い)、後半の3部が新年(イエスの命名と東方の博士たちの来訪)となっている。福音史家たちが語り、歌う聖書章句はルカとマタイの福音書からの引用である。作品全体が一つの曲集になるのは後世のことであるが、バッハは作曲当初から全6部を包摂する全体構想を持って臨んでいた。後記の通り、最初と最後のコラールにマタイ受難曲で有名なハスラーの旋律を用いて、降誕と受難の不可分性を示唆していることもその証左の一つであり、調性も、神を象徴するD-dur(イ長調)を墓調として、D-G-D-F-A-Dとまとまった構成を示している。

 この作品は、当時のオラトリオのイメージからすれば、聖書章旬やコラールを多用する点でやや古風であり、ドイツでのオラトリオの源流と目されるヒストリアやアクトゥス・ムジクスに近いとされている。これは彼の受難曲にも共通する。また、初演に見られる演奏形式から、教会カンタータ6部作ともいわれる。これらは、バッハの音楽性と宗教性の深い結びつきを物語るものであり、バッハの作品研究に精神的側面が不可欠とされる所以でもある。
 上記を第1の特徴とすれば、この曲の第2の特徴と言えるのはシンメトリック(対称的)な構成である。この曲の校訂報告者の一人であるブランケンブルグによれば、第1〜3部にa-b-c-b-aというシンメトリーが認められる(下表参照)。すなわち、第1部と第3部は共にその両端の楽曲がD-durで、かつトランペットを伴い、中間の第2部は木管付きで両端がG-dur、中央がC−durになっている。バッハはD→G→Cという下属音の関係を用いて、天上からのキリストの降誕を表現したと解される。この種のシンメトリーは他にも細部にわたって見受けられる。

      第1部   第2部       第3部
a(D-dur):  1合唱と            24合唱と
      9コラール           2度目の24合唱
b(G-dur):       10シンフォニアと
            23コラール
c(C-dur):       17コラール

 この曲の第3の特徴は、多彩なパロディー(先行作品の転用)にある。特に3つの世俗カンタータ(「岐路のヘラクレス」BWV213、「太鼓よとどろけ、ラッパよ響け」BWV214、「恵まれたザクセン、おまえの幸をたたえよ」BWV215)から11曲を転用している(第1,4,8,15,19,24,29,36,39,41,47曲)。これらはいすれもドレスデンのザクセン選帝侯一家の祝事に献上されたものであり、バッハはその作曲時点ですでにクリスマス・オラトリオヘの転用の可能性を意識していたとも考えられている。個人向けの作品がパロディーを通じて芸術的に高められ、広い普遍性を得た事例と言えよう。なお、第6部においては教会カンタータから7曲が転用されている。

[第1部:声を挙げてよろこび、その日々を讃えよ]

 (ベツレヘムにおけるイエスの誕生)

第1曲(合唱)イエスを讃美する歓喜の合唱が冒頭を飾る。3本のトランペットの響きは神の象徴。
第2〜5曲(レチタティーヴォ、アリア、コラール)ヨセフとマリアがベツレヘムにやって来た。アルトは古い言い伝えの花婿(救い主)の誕生を予告し、シオン(花嫁・信徒)にお迎えの準備を促すアリアを歌う。アルトはマリアの象徴、伴奏のオーボエ・ダモーレはマリアの愛情の表現である。どのようにお迎えしたらよいのか、と最初のコラール(第5曲)が謙虚に唱う。メロディーはマタイ受難曲に5回登場して有名なハスラーのコラール旋律。
第6〜8曲(レチタティーヴォ、コラール、アリア)キリストの生誕。ソプラノが会衆の降誕の祈り(コラール)を唱うと、バスがその意義を説き、さらにアリアで「大いなる主、強き王、最愛の救い主」と讃美し、「その方が硬い飼い葉桶に眠られるとは」と嘆く。
第9曲(コラール)それを受けてコラールが、我が心にこそ幼子を眠らせたいとの願いを、ルターの名高い旋律「高き天より」に乗せて唱う。冒頭合唱との対応をトランペットとティンパニが示しつつ、華やかに第1部を締めくくる。

[第2部:その地方で羊飼いたちが]

 (野にある羊飼いたちへの天使のお告げ)

第10曲(シンフォニア)パストラール風の器楽曲をここに挿入するのはクリスマス音楽の伝統で、ヘンデルのメサイアにも見られる。空に舞う天使(フルート・弦)と地上の羊飼い(4本のオーボエ)は初め対置されるが、次第に歩み寄り、ついには融台して、神と人の一体化(キリストの生誕)を象徴する。
第11〜15曲(レチタティーヴォ、コラール、アリア)野宿する羊飼いたちの周りを主の栄光が照らし、彼らは非常に恐れた。するとコラールが、朝の光よ輝け、羊飼いたちよ恐れることはないと唱う。次に天使(ソプラノ)が、今日ダビデの町で救い主がお生まれになったと告げると、バスが、これこそ旧約聖書の預言の成就、と誉め讃え、テノール(羊飼い)が幼子を急ぎ見に行こうと仲問に呼び掛けるアリアを歌う。
第16〜19曲(レチタティーヴォ、コラール、アリア)羊飼いたちは飼い葉桶の中にしるしとしての幼子を見るであろう、と福音史家が語るのを受けてコラールが、ごらん、あそこに御子が眠ると唱う。バッハが、第2部および本作品前半(第1〜3部)の中心に据えたコラール(第17曲)であり、旋律は第9曲と同じルターのもの。続いてバスが、行って子守歌を歌いなさいと羊飼いたちに語りかけ、アルト(聖母マリア)は子守歌のアリアを歌う。
第20〜23曲(レチタティーヴォ、合唱、コラール)再び野宿の場面。突然天の大軍が加わり神を讃美した。天使の大軍の合唱は「いと高きところには栄光、神にあれ」「地上には平和」「御心に適う人にあれ」の3部分構成を2回繰り返す雄大な曲想。続いて、バス(羊飼い)がわれらも和して唱おうと呼びかけると、羊飼いたち(信徒)のコラール(第23曲)も「われら天使の大軍と共に歌おう」と応じて、生誕を讃美する。旋律は第9,17曲と同じルターのもの。冒頭のシンフォニア(第10曲)で示されたパストラール風の旋律と天上・地上の響きの融含とが、この終曲コラールの器楽部分にも現れ、第2部を締めくくる。

[第3部:天の支配者よ、舌足らずの祈りを聞き入れよ]

 (羊飼いたちの幼子イエス訪問)

第24曲(合唱)テノール・パートに始まるポリフォニックな冒頭の合唱が、クリスマスの出来事に感謝して、神への讃歌を捧げる。導入部のトランペットとティンパニの響きが第1部との音楽的関連を想起させる。
第25〜29曲(レチタティーヴォ、合唱、コラール、二重唱アリア)福音史家に続いてポリフォニックな群衆合唱が、ベツレヘムヘ行こうという羊飼いたちの話し合いを唱うと、バスが、行きなさい、この出来事はおまえたちのためのもの、と促し、コラールが、その出来事は主の大いなる愛を示すもの、と感謝の祈りを唱う。次いで、ソプラノとバスが、主の思いやり・憐れみがわれらを慰め解き放つ、とアリアを歌う。
第30〜33曲(レチタティーヴォ、アリア、コラール)羊飼いたちが幼子を訪ね当て、天使の話を人々に伝えると、マリアが思いを巡らす。アルトが、聖母マリアの独白(わが心よ、この奇跡を包み込み…)を子守歌のアリアで歌い、この奇跡を心に留めようと語ると、会衆が、私はあなたを心を込めて守りますと唱う(クリスマス信仰の中心的コラール)。
第34〜35曲、第24曲(レチタティーヴォ、コラール、合唱)羊飼いたちは神を讃美しながら帰った。コラールが救い主の生誕を祝ったあとで、冒頭の合唱曲が再度登場して、第3部とオラトリオの前半とを華やかに締めくくる。

一休憩一

[第4部:感謝し、讃美してひざまづけ]

 (幼子イエスの命名)

第36曲(合唱)オラトリオの後半は、神の御子がこの世に現れたことを感謝し、讃美する合唱で始まる。第4部だけに登場するホルンの響きが独特の雰囲気を醸し出す。
第37〜39曲(レチタティーヴォ、コラール、アリア)幼子はイエスと名付けられた。バスがイエスの名を讃えて、ソプラノの祈りのコラールと交錯し、あなたの御名が死の恐怖をも追い払うと結ぷ。その死の恐怖について、ソプラノがイエスに問いかけると、こだまが答える。第4部の中心となる、いわゆる「こだまのアリア」。
第40〜41曲(レチタティーヴォ、コラール、アリア)再びバスとコラールが交錯し、バスが讃美と感謝をどう表わしたらよいかと問うと、テノールが答えて、神の栄光のためにのみ生きるという誓いのアリアを歌う。
第42曲(コラール)イエスに対する願いと祈りのコラールが第4部の終曲。いずれもイエスで始まる6行詩はイエスの命名の日の象徴。再び登場するホルンの響きが第4部を特徴づける。

[第5部:栄光あれと、神よ、汝に歌わん]

 (東方の博士たちの到来とヘロデ王の不安)

第43曲(合唱)神の栄光を称える冒頭の含唱が、4声部のポリフォニックな動きを主体に、生き生きと展開する。
第44〜47曲(レチタティーヴォ、合唱、コラール、アリア)東方の博士たちの到来。合唱(博士たち)がユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこ、と問うと、アルトは私の胸の中におられると答え、救い主よ、あなたこそは光、と語る。コラールは、あなたが夜を光に変えると讃え、バスが、その光で私の心を明るくして下さいとアリアを歌う。
第48〜50曲(レチタティーヴォ)ヘロデ王たちは話を聞いて不安を抱く。アルトが、なぜうろたえるのか、喜ぶべきではないかとたしなめる。また、ヘロデ王は調査の末、救い主がベツレヘムに生まれることを知る。
第51〜53曲(三重唱アリア、レチタティーヴォ、コラール)救い主はいつ現れるのでしょうか?静かに!もうここにおられます。…博士たち/信徒(ソプラノ、テノール)とマリア(アルト)との対話が子守歌のように繰り返される。そのあとでマリアが、信ずる心こそイエスの御座、と語ると、コラールが、暗い穴蔵のような心でも主の光で輝くと唱って、第5部を締めくくる。

[第6部:主よ、高慢な敵かいきまくとき]

 (博士たちのマリア/イエスとの巡り会い)

第54曲(合唱)冒頭の合唱がポリフォニックに展開し、ヘロデ王たちの迫害に負けない強い信仰心を表明する。トランペットとティンパニの響きがまた登場して、第1部との対置を連想させる。
第55〜60曲(レチタティーヴォ、アリア、コラール)バス(ヘロデ)が博士たちに「…知らせてくれ、わたしも行って拝もう」と語ると、その下心を見破ったソプラノが、不正のやからよ、おまえの心はお見通しだ、と切り返し、主の御力はいかに強いかというアリアを歌う。博士たちが幼子に巡り会い贈り物を捧げると、コラールが、私も自分の全てを捧げますと唱う(第6部の中心にあるコラール)。博士たちは夢のお告げでヘロデ王に会わずに帰国する。
第61〜64曲(レチタティーヴォ、アリア、コラール)テノールがイエスヘの愛情を語り、高慢な敵どもよ、脅すがよいとアリアを歌い上げると、4人のソリストが、地獄の恐怖も恐れず…と次々に語る。最後にコラールが、迫害や罪悪に対する救い主の勝利を唱って、壮麗な器楽演奏とともに、第6部およびクリスマス・オラトリオ全曲を締めくくる。最初のコラール(第5曲)に用いられたハスラーの旋律(マタイ受難曲で名高い)がこの最終コラールにもまた登場して、降誕と受難を表裏一体と捉えるバッハの曲想が示される。

(入澤三徳・会員)