Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

2002年ドイツ旅行記念誌Web版第1章

2002ドイツ演奏旅行に寄せて

八尋 和美

多くの方々の周到な用意と地道な努力が実って、第2回目のドイツ演奏旅行が、世紀の大洪水の中にも拘らず予定通り行われた事を、心から感謝しています。

今回は3つの教会で、それぞれ異なった残響の中での演奏で、私にとっても新鮮な体験を得ました。それにしてもアンネン教会には驚きました。あれだけの残響がありながら、指揮者の位置には、乾いた生の声しか聴こえてこないのですから。

最初の訪問地ライプツィヒへは、今回で5回目になります。来る度に回想するのは、やはり第1回目1983年2月の時の事です。東西ドイツ分裂時代に、西ドイツから列車で国境駅の検問におびえながら、錆びた鉄路や寂れた駅舎、更には沿線に生い茂った雑草を横目にしながら、ライプツィヒ駅にたどり着いたものでした。町中へ歩を進めて、雪の中に黒々と 浮き出たトーマス教会の荘厳さに心打たれたのも今は昔、教会は白く生れ変りました。今回特に目についたのは、教会周辺に増えた物乞いです。バッハ像の前で写真を撮った時、 それほどみすぼらしくもない男が、つかつかとビラーさんの前に寄って来て、大きなチョコレートを差し出して、売りつけようとしたのを御存知でしょうか。ビラーさんが失業者だと教えてくれましたが、統一後のひずみがこんなところに現われている現実に、心が痛みます。

さて次に、ヨーロッパ演奏旅行に対する希望を少し述べてみます。

前回も今回も全て教会の中での演奏で、あの雰囲気を身体ごと味わえたのは、かけがえの無い体験と言えましょう。その上の欲ですが、次に機会があれば、ゲヴァントハウスの様なコンサートホールでの演奏会を持つ事です。それによって、一般聴衆の聴き方が、日本と どの様に違うのか、非常に興味を抱かせる筈です。

次の欲ですが、折角あちらに何日間か滞在しているのですから、どこかの合唱団の練習を見学出来ないかなと思います。これはその合唱団の上手下手関係なく、参考になる事が非常に多いし、又思いがけない発見があるかも知れません。

今回は、現地での練習時間と練習場所が確保されていて、指揮者としては非常に助かりました。その練習時に気がついた事ですが、堂崎さんが音頭をとって発声練習を始める前迄に、一声も歌声を発する人がいない事です。堂崎さんのベルトコンベアーに乗っかっていれば、万事OKというのでしょうか。あれは集団のウォーミングアップです。個々の発声のチェックは、個人々々が責任を持ってそれ以前にやるべき事です。声はそれぞれの顔形 同様千差万別、調整方法も千差万別です。ヴォイストレーニングで学んだ事をその場限りにせず、日夜自分自身でくり返し、身体に覚え込ませる事によって、初めて正しい発声が保てるのです。あの全体発声の前に、何人かでも、自分なりの声の調整をしている人がいてもいい筈だと私は思いました。自分の声は自分で管理調整するという意識を、一人一人が持つ様になれば、この合唱団の音質も音程も、飛躍的に向上するでしょう。

私にとって、この旅行最後のタールビュルゲル演奏会後の、ヴァシュネフスキーさんの言葉が、もっとも印象に残りました。「追分節考は、あたかも中世の修道僧が、グレゴリオ聖歌を歌いながら、会堂内を歩いている様だった。」の一言です。音楽を先入観念や固定観念抜きで聞いた時、それは途方もない広がりを持つという事を、改めて認識させられました。

さて私達はさしたる事故もなく、身体の方は無事に帰国出来ました。而し音楽上では事故がありました。8月10日トーマス教会での、あのWarum…の大事故です。敢えて大事故と呼びましょう。「終り良ければ全て良し」という言葉を裏返せば、「始め悪ければ全て悪し」です。静寂の中への音の始まりは、書道で言えば、眞白な半紙に眞黒の墨をふくませた筆を下ろす瞬間に似ています。これをミスすれば、その半紙は余白がどんなに沢山あっても、丸められてゴミ箱にポイでしょう。

あの事故の瞬間、まさに「なぜ!(Warum)」と、心の中で叫んでいました。横浜でも起らなかった事が起ったのですから。環境の変化による平常心の欠如かも知れません。而し、如何なる事情があっても言い訳出来ないのが、音楽の厳しさです。

あの事故を、トーマス教会で歌えた興奮の渦と共に、忘却の淵に静めてしまうのは簡単な事です。已にその作業を終えられた方もあるでしょう。而しそれでは又同じか、それ以上の事故が必ず起るでしょう。あの失敗は今後に生かさなければなりません。それはあの場にいた団員全て(事故の当事者である無しに拘らず)が、あの事故を正面から受け止め、あの時の傷の痛みを、いつ迄も忘れない事です。

2002年9月11日

チューリンゲンの小さな町をたずねて

谷口 明子

多くの方々の情熱を傾けた第二次ドイツ演奏旅行の成功は、喜ばしいかぎりです。今回私は、オルガンを弾くという幸せな経験ができ、大変感謝しています。クロスター教会のオルガニストだったハーゲン氏のお母様がいろいろとお教え下さり、ありがたいことでした。オルガンに慣れるため、合唱団より1日早く14日にタールビュルゲルにはいり、ハーゲン家に滞在しました。ハーゲン氏とお母様の心のこもったもてなしと心地よい住いのおかげで、すっかりくつろいだ5日間を過すことができました。

コンサートについては多くの方が記されるでしょうから、私はハーゲン氏が車で案内して下さったいくつかの町についてお伝えします。コンサート当日の午前中は八尋先生と御一緒に、アイゼンベルク、バロックのお城と庭があるゲラ、シュッツの家や黒ビールで有名なケストリッツなどを訪れました。しかし見どころは土曜日の午前中のため、残念ながらことごとく閉館していました。

ケストリッツ郊外のレストランではおいしい鹿肉料理をいただきました。その庭には大砲が置かれ、ナポレオンが忘れていったと書かれた派手な看板が立っています。その真偽は、ハーゲン氏の複雑な笑いが答のようです。しかしとにかく観光客でにぎわっていました。

翌日はルードルシュタットとザールフェルトです。ルードルシュタットは趣向をこらしたしゃれた建物が多く、見て歩くのが楽しくなる味のある町です。緑の深い急な坂道を登りきると、壮大なバロック様式のお城が現れ、中は博物館として公開されています。上からの町の眺めもすばらしいものです。

チューリンゲンの森の入口にあるザールフェルトでは、フェーン・グロッテ(妖精の洞窟)を見物しました。鉱山跡が鍾乳洞のようになっており、照明によって幻想的な景色が出現します。坑内は寒いので、入口でマントを借りてうす暗い坑道を延々と歩いて行くのです。

ポルツェランシュトラーセ(陶磁器街道)と名づけられたこの地域は、チューリンゲンの森の豊富な木材のおかげで陶磁器や木工、家具の工場が多く、まさに「森の国」を実感させてくれます。

この地方には、行きたい所がまだたくさんあります。皆さんも次の機会に訪問されてはいかがでしょうか。

「心に残ることども」

森 一夫

第二次ドイツ演奏旅行の成功を心からお喜び申し上げます。

カタストロフィーという未聞の言葉で報道された洪水災害に、心底から同情し一日も早い復興を祈って居ります。

ライプツィヒを再訪し、美しく修復された雨中の街並に、人々の美観へのこだわりと感性の豊かさを感じ取ることが出来ました。

アルテンブルク城内教会では、トロスト・オルガンの音色に圧倒され、フリードリヒ氏の演奏に感銘しました。ストップの使い方に感心し、新しいバッハ等の音に陶酔してしまいました。

ツヴィッカウではシューマンの生家を訪れて、クラヴィールの優しい音色にシューマン音楽の新しい発見をさせて頂きました。

アンナベルクのアンネン教会での演奏会は印象深い。ブロイティガム氏のメシアンは絶妙で不思議な音体験をしました。あれは、オンド・マルトゥオノそのものではないか。あの音を紡ぎ出した芸術性と高い技量に、身体はわななき血が退く思いがしました。

YCSの演奏も最良のものでした。天井から降り注ぐ音は、八尋先生の言う「神との対話」の様に至福に充ちていました。私は、如何に人を相手の音楽をして来たかと、厳粛な宗教音楽の前に平伏したい気持ちに成りました。

クロスター教会での演奏会では更にその思いは強く、教会音楽と世俗音楽の境界に立って思索を重ねました。幸いに「追分節考」は大好評でした。その成功の要因は八尋先生の、「神との対話」と「人間性」とのバランス感覚にあったと思います。決して音素材を強調しすぎない音楽性が、全体としての統一感を崩さなかったところに起因したと思いました。

それに比べ、私のアンコールは人間の個を演じ過ぎてはいなかったでしょうか。

ドイツの旅は感動と思索の旅でもありました。YCSの更なる発展を祈ります。

2002年9月5日

(無題)

太田 哲

皆様の周到な準備のおかげで、恙無くドイツ演奏旅行を全うさせていただきました。ドイツの方々にとっては、東洋で一番東の日本の横浜合唱協会が、ドイツで、バッハの作品を歌ってくれたことが、とてもとてもうれしいことだったんだろうと、思われました。と同時に、日本人の作品を聴いてみたかったのも、願いのひとつだったろうと思われました。横浜合唱協会の方々の中には、志に反することだと思われる方もおりましょうが、日本の合唱団が、日本人の作品を外国の方々に聴いていただくのも使命のひとつだと思います。願わくば横浜合唱協会のレパートリーの中に、日本人作品が一曲づつ加わってゆくことを願ってやみません。

(無題)

関 一郎

皆様とのドイツ演奏旅行は私にとってとても充実した一週間でした。

ドイツで「追分節考」を演奏したことがないと言う理由もありますが、最近やっとバッハの易しいプレリュ−ドをピアノで弾けるようになったりフーガを何曲か勉強していたのでライプツイヒのトーマス教会やバッハ博物館にはとても興味がありました。私は少し遅れて日本を出発したので残念ながら皆様がミサで歌うのを聴けませんでしたが、バッハの自筆譜の絵はがきや楽譜を買いながら当時を想像していました。その教会の裏に移転中の楽器博物館ではパイプオルガンが弾けたり、「こきりこ節」(富山県の民謡)で使う”びんざさら”(木の片で出来た打楽器)を発見したり貴重な経験をしました。

3日間ライプツィッヒに滞在した後タ−ルビュルゲルで皆様と合流出来ました。クロ−スター教会は歴史があり尺八や声にとても良い教会でした。演奏会の夜、美しい照明に照らされた教会から聞こえてくる声は別世界のものとも思えるほどきれいでした。

「追分節考」の開始時刻には雨も小降りになり客席後方に無事スタンバイ出来ました。教会でこの曲を演奏する時は日本よりはいろいろな趣向(演出)を可能にさせます。リハーサルの前に「どこから吹き始めようか、どこを歩こうか、最後はどのように終ろうか等」考えるのは楽しみの一つです。アンコールでは尺八は吹きながらドアの外に出て終わる予定でしたが、風でドアが自然に閉まってしまい、片手でドアを開けながら尺八を吹き次ぎにドアが閉まる(音が聞えなくなる)のを足で止めながらの演奏でした。が、最後には現地の方がドアを固定して下さったので助かりました。アンコールの1曲目に私の「尺八と声による作品」を森一夫さんと演奏させて戴き良い想い出となりました。

記録的な洪水にも関わらず演奏会を開催された現地の方々には敬意を払わずにはいられません。横浜合唱協会の皆様には今回の演奏会の大成功が新たな発展に通じる事をお祈りいたします。

2002年9月5日

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