Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

ドイツ演奏旅行2008年8月私的道中記

横浜合唱協会は2008年8月に第3回となるドイツ演奏旅行へ旅立った。Web担当のやまだは個人的理由で居残り組。とりあへずの報告をお願いしたところ、帰国後にCさん(匿名希望)から道中記をいただきました。といふわけで、まづはそのままアップしてみました。今後、手直し等もあるかもしれませんが、その辺りは適宜行いたいと思います。まずは雰囲気だけでも、ってことで。

ちなみに、Cさん(匿名希望)は合唱団本体とは途中で別行動をしておりますので、その辺りもお含みおきの上、お読み下さい。

私のドイツ演奏旅行記

記載者;C.(アルト)

2008年08月08日(金) 見ていたのは、誰?

7時35分。成田空港の南ウイング、Kカウンターで搭乗券を受け取る。マイレージに加入し、トランクを預け、時計台の下に集合。八尋先生、YCSメンバー、三島グロリアのゲスト、添乗員の総勢48名。初めての班別点呼。いやが上にも気分は高揚する。さあ、出発だ!まずは、機内持ち込み品の検査を受ける。液体状のものは、旅行社よりあらかじめ配られていたビニール袋に入れておいたのでOK。の、はずだった。ところが、呼び止められた。「水筒がありますね」。「お前、何考えてんの!」と夫。「だって、カラだもの・・・・・」。はいはい、中身をお見せします。私が爆発物でも仕込むと思う?手荷物検査の意味を理解していなかっただけヨ。でも、これってサイテー??(物事の意味をよく考えないで行動するとこういう羽目に陥ります。)ああ〜、行く前からこれか。先が思いやられる。こらっ、そこでクスクス笑っているのは、誰?!

19時。ゲヴァントハウス向かいのホテル、ラディソンに到着。

20時。駅に水を買いに行ったはずの夫は、ニコライ教会前のカフェで先生、ブラウマンさん、何人かのメンバーと合流、夕食だとか。まっ、いいか。ニコライ教会、トーマス教会、バッハ像・・・・・とうとう、ライプツィヒにやって来た!

2008年08月09日(土) 浴槽ではなく、水槽が・・・

ライプツィヒでの宿泊先のホテル、ラディソンは前回のルネサンスとはまた趣が異なる。建物の外観からもわかるように、よく言えば無駄がない。私たちが泊まった部屋は、ドアを開けると左手の壁面に大きめの鏡があり、右手にシャワーの設備、その奥がドアで仕切られて、トイレといった具合。バスタブはない。このシャワーの設備であるが、なんと、ほとんど透明なのだ。つまり、シャワーを使っている姿が、反対側の鏡に映る。昔々(年齢がバレますが)「・・・お魚になったワ・タ・シ・・・」っていうコマーシャルがあったでしょう?・・・そんな気分だった。身内で同室だった人はまだいい。友人同士で同室だったメンバーは、さらに目のやり場に困ったそうな。

16時30分。トーマス教会バッハ像の前に集合。恒例の写真撮影。メンデルスゾーンが建てたというバッハ像を囲んで、いつもの体操。声出し。奇異の念を隠せない遠巻きの視線にも臆することなく、皆しっかりやりました! 「練習の初めが、私のユルイ体操でごめんない。」と前に立ったNさん。いえいえ、お疲れ様でした。短い体操なのに、メニューを書いていらしたノートに、パートリーダーとしての心遣いを見せていただきました。

17時頃。教会内オルガン前で練習。オルガンが聞きやすいのは当然か。

先生は昨日、ブラウマンさんと一緒にニコライ教会前のカフェにいらしたとのこと。お寒かったことだろう。少しお疲れかもしれない。

18時半ちょっと前。プログラムにはないモテット1番をMさんの指揮で歌う!

2008年08月10日(日) K嬢の活躍と賢いTちゃん

8時半。オルガン前聖歌隊席集合。

10時。礼拝が始まる。メンデルスゾーン、ペルトの「キリエ」「グローリア」と歌い進む。手が震えるのは、年齢ではなく、緊張のため。そして、ソプラノの「アニュスデイ」。昨日の練習で、出だしの音をオルガンで取ってもらうことにした。結果は?やったね!!美しい!!アルトは「ミゼレレノービス」が待っている。出来は?歌詞の内容そのままだったような・・・・・

12時半。チューリンガーホーフにて、パーティー。先生もお元気だ。ドイツ側からは、オルガニストのウィンガーさん、ハーゲンさん、ブラウマンさん、ブラウマン・ママが参加。メンバーの家族も加わり、賑やかに初めてのパーティーだ。このような席では特に、Sさんの姿が見えないのが寂しい。しかしK嬢が立派に通訳を務めてくださった。メンバーのご家族のスピーチにも会場が沸く。「妻はカトリックですが、私は浄土真宗です。」(OKです。)「義理の息子も私も頑固ですが、YCSの事柄については息子の意見を尊重しています。」(お父様、さすがです。)「夫がこのような合唱団で歌っていることに、私も幸せを感じます。」(いつまでも、お幸せに。)「前に来た時、くまの人形を買いました。今度はそれを里帰りさせてあげました。それで、今度はお友達も連れて帰りたいと思います。」(小さな声だったので、離れた席にいた私には実は聞こえなかったのだけれど、Tちゃんはこう言ったそうです。)それを聞いたメンバーによれば、「あの子は本当に賢い!」。

2008年08月11日(月) 6年目の左ハンドル

きょうから15日まで、メンバー32名はYCS本体として、北ドイツオルガンツアーに出かける。先生と残り11名は、それぞれ計画した個人旅行を楽しむ。私たちはレンタカーでA夫妻とプラハまでご一緒して、その後、チェスキークルムロフ、パッサウ、レーゲンスブルクと回って、15日にヘレンベルクの宿舎で本体と合流する予定。8時30分頃。レンタカーの営業所に出かけた夫2人が戻って来る。借りる予定だったゴルフのタイヤに釘が刺さっていたため、急遽、キアという韓国車に変更になったとのこと。多少大型のため乗り心地も良い。8時50分。ホテルを出発。さあ、6年ぶりに左ハンドルの車を運転する夫の運転や如何。キャーーーーッ、左折が怖い!ほらまた、ワイパーが動いた!後続の車に方向を指示しようとして、窓を洗ってしまう。ウインカーが左に、ワイパーが右に付いているのだ。それでもドレスデンを過ぎる頃には運転にも慣れて、高速道路を快調に飛ばす。天気も良く、遠くに木立が点在するほかは、すでに刈り取られて、象のトイレットペーパーのみ残された田園風景が続く。「広々としたいい景色ですね。」とA氏。国境とおぼしきゲートを越えて、Aさんの親友のSさんのお宅へと向かう。Aさんの携帯メールの、Sさんの細かい説明をたよりに、迷うことなく辿り着けた。15時。Sさんに案内されて車で20分ほどのプラハの中心街、パリ通り(!)のホテルへ。ステキ!プラハの街を歩き、Sさんのご主人も交えて夕食。3人の男たちはアイスバインと格闘。3人とも、その大きさにギヴアップでこの日を終えた。

2008年08月12日(火) 観光地は早朝に限る

昨日、Sさんに案内されて歩いたプラハの街は、人でごった返していた。聖人が居並ぶカレル橋も、安手の観光地に成り下がってしまったような印象だった。これではいけないとばかりに、早朝6時半にホテルを出る。観光客には誰一人として行き会わない。旧市街広場のフス像も昨日は何だか黒っぽいだけだったが、きょうは、ルターより100年も早くチェコの宗教改革者として、決然と火刑に赴いた人物の威厳を取り戻しているように見える。ひっそり静まっているカレル橋を渡り、プラハ城へ。途中、恐れ多くも、城を見守るマサリク氏と記念撮影。さらに進むと、プラハ城のシンボルとも言える聖ヴィート大聖堂が開いている!開門前の掃除のためだが、気づかない振りをして入ってみる。掃除をしている人は気にもかけない様子。よし!と思ったところで、教会の関係者らしい人にやんわりと注意された。しかし、97年に来たときには人、人、人だった教会に、たった数人とは・・・非常に大きな教会と思っていたのだが、驚くほどでもないか、というのが率直な感想だった。早起きは三文の得。とにかく、観光地は早朝に限るようだ。

10時10分。プラハ発。ターボル、フルボカー城を経由して、世界遺産に登録されているチェスキークルムロフへ向かう。ここから15日までは夫と二人の旅だ。(かすかな不安がよぎる。)遅くならないうちにホテルにはいろうと、ターボルもフルボカー城も早々に切り上げ、17時半ころ、チェスキークルムロフの教会が見え始める。このあたりからヴルタヴァ川も蛇行を始める。「チェスキー」は「チェコの」の意、「クルムロフ」は古ドイツ語の「ねじれた形の川辺の草地」に由来するというこの町の旧市街は、蛇行するヴルタヴァ川に囲まれ非常に狭い。車は、ホテルに荷物を降ろすためなら市街へ入ってよいが、降ろした後はホテルの指定する駐車場へ止めなければならない。おまけに観光客のあふれる旧市街の狭い道は一方通行だらけ。なので夫はホテルへ入る道を慎重に選んではいるのだが、どこから入っていいかわからない。一番順当な入り口から入ったはいいが、一歩通行に阻まれてホテルへたどり着けない。試行錯誤すること2時間、疲れ果ててホテルにはいると、指定された駐車場はホテルの北東、直線距離にすれば目と鼻の先ほどの距離。なのに、S字を反転させた形で蛇行する川の、ちょうど真ん中あたりのホテルから、逆S字の真下へと旧市街を出て川を渡り、大きく北上して逆S字のてっぺんからまた川を渡って戻ってくるという具合。何度か川を渡るうちに、町の全体像が鮮明になるどころか、一層わからなくなると夫は言う。しかし、旧市街の中心に入る困難は、ここに始まったばかりだったのだ。

2008年08月13日(水) 胸中穏やかならざれば・・・

この日も、朝7時半にホテルを出て、お城へ向かう。チェスキークルムロフは、蛇行する川に抱かれるようにして存在する町を、高い所から眺めるのがいい。だから、塔へ登らなかったのは失敗だった。お城へ登ったのだから、塔はいいか、と思った。でも、帰って来てから、3年前に行ったことがあるという人に「町の眺めがすばらしくて、もう一度行きたいわ。」と言われたとき、町全体を眺望した印象が薄い、と感じた。絵葉書にせよ、カレンダーにせよ、使われているのはみなそのような写真ではないか!(あーあ。)

12時に過ぎにチェスキークルムロフを出て、南ボヘミアの平原を走り、巨大な湖(と思っていたら、面積が5平方キロもあるチェコ最大のダム湖だった)の岸辺のホテルで遅い昼食。ここはリプノという町で、このホテルは軍のリクリエーション施設だそうだ。ここの食事は質から見ても、今回の旅行のどこよりも安かった。チェコの田舎はやっぱり物価が安いのね、などと話していたのだが、もしかしたら、軍への補助が出ているのかしら?今にも雨が落ちてきそうな空模様で肌寒かったが、サイクリングを楽しむ家族連れが目を引いた。パンフレットには「南ボヘミアやオーストリア近辺への遠出を楽しむのもいい。」とある。こんな広々とした静かな所で合宿がしたい。

この日の宿泊地はオーストリアとのドイツ国境の町、パッサウだ。南ボヘミアの森と言うよりは、平原に時々現れる森林地帯を抜けて、一路パッサウへと向かう。チェコともお別れだ。イルツ川沿いに進む頃、夫が片手ハンドルで運転し始めた。「危ないから、やめてよ。ほら、『高名の木のぼり』の話もあるでしょう?」これがいけなかった。ここに深い亀裂が生じた。(とだけ書いておこう。)そして、パッサウの町に入った。ドナウエッシンゲン辺りを水源としてドイツ南部を滔々と流れてきたドナウは、パッサウでまずボヘミアから流れてきたイルツ川と合流し、その後南から流れ込むイン川と合流する。インとドナウが作る三角地帯がパッサウの旧市街だ。そうか、河川は3本か、と思いきや、運河があったりする。それで、旧市街へ入る道を間違えた。やり直し。なんとか旧市街に入ったものの、ホテルがわからない。また、一方通行だ。それでも夫の奮闘で何とか18時にはホテルに入った。一安心。だが、ここのホテルをめぐって、深い亀裂がさらに深まった。(とだけ書いておこう。)さて、街歩きに出る。パッサウは7時半頃の夕暮れがよい。2つの川の対岸の風景が穏やかだ。心の中も穏やかだったなら・・・・・

2008年08月14日(木) 無事が何より

パッサウは今回の旅行で是非訪れたかった街。25年も前の新聞の連載小説の、終幕の舞台となったのがパッサウ、と記憶していた。(ところが、パッサウに行くことに決めてこの小説を拾い読みしたところ、なんと登場人物たちはドナウをさらにくだって終点の黒海まで行っている!その後、書き加えられたものか?私の全くの勘違いだったのか??)ガイドブックには「イン川とイルツ川のふたつがドナウ河に流れ込み、3つの河川がそれぞれ違う色に輝くという珍しい光景に出会える」なんて、ロマンチックなことが書いてある。その上、パッサウのシュテファン大聖堂には世界最大と言われるパイプオルガンがある。YCS本体は昨日、ドイツ北部のリューベックでオルガンを聞いている。私は今日、ドイツ南部を西から東へと流れるドナウの、東の果ての町でオルガンを聞く。いいではないか!

7時半、朝の散歩に出る。ドナウ河とイン川、昨日の鬱屈した気分を流すには、十分すぎる水量だ。インもドナウも濁った深緑色にしか見えなかったが、ドイツ南部をゆったりと流れてきたドナウの水はぬるく、一方、南のアルプスを水源とするイン川の水は冷たかった。9時半、ホテルに戻って朝食。10時45分、教会の入り口で、ほとんどが観光客とおぼしき人々の列に加わり、オルガンコンサートのチケットを買う。始まる頃にはほぼ満席だった。12時開始。まずは牧師さんのご挨拶。

次いで、Dommusikassistentinの Brigitte Fruth さんによる演奏。

Nicolaus Bruhns (1665-1697)
Praeludium und Fuge in e-Moll
Joh. G. Walther (1684-1748)
Zwei Choralvorspiele:
"Mache dich, mein Geist, bereit"
"Schmueche dich, o liebe Seele"
Joh. Seb. Bach(1685-1750)
Praeludium und Fuge in C-dur BWV545
Teodore Dubois(1837-1924)
"Meditation"aus"Douze Piecese"
Joachim Schreiber (1964)
Choralimprovisation ueber "Christ ist erstanden"

YCS本体もBach とBruhnsは聞く予定になっている。もしかしたらWalther も聞いたかもしれない。この日のWaltherの曲は、鐘の音を模したもの。2曲目は風鈴のような響きだった。Duboisの曲は、現代的な耳になじみやすい曲。最後が圧巻だった。オルガンの能力をフルに活用したような曲。参りました。35分ほどのミニコンサートだったけれども、作曲者の年代まで示したプログラムといい、オルガンの能力を示しつつ、飽きることのない選曲といい、良かった。

14時過ぎ。パッサウを後にして、この日の宿泊地、レーゲンスブルクへ向かう。今回は街中へも上手く入れたし、ホテルもすぐに見つかった。(ラッキー!)だが、ここからが問題だった。18時までにレンタカーをAvisの営業所に返さなければなない。通りの名前も番地もわかっているし、ホテルの人がラフな地図を書いてくれた。それに従って走っている。なのに、見つからない。散々走って、ココハドコ?と思ったら、ホテルの通りだったりした。それでも17時半頃、やっと見付けた!私たちはAvisの前を何度も行き来していたのに、看板を見落としていた。何故か?Avisの看板は地面から1メートルほどのもので、営業所の頭上には、黄色い大きな方向案内板が掲げてあったのだ。レンタカーには最後まで翻弄されたが、無事で何よりだった。(お疲れさまでした!)

2008年08月15日(金) ヘレンベルクに全員が揃う

今日で個人旅行も終わり、夜には皆とヘレンベルクで合流する。楽しみだ。

昨夕、ドナウにかかるドイツ中世で最も堅牢と言われる石橋を渡った。1134年に造られたというこの橋、どんなに古びていかめしいものかと思っていたら、全く古さを感じさせずにそこにあった。プラハのカレル橋のほうが長さも幅も一回り大きいが、カレル橋の礎石が投じられたのは、レーゲンスブルクのこの石橋の完成後、250年以上も経ってのことであるという。カレル橋のほうがずっと古く感じてしまうのは、あのいかにも中世的な聖人群のせいだろうか。また、カレル橋はレーゲンスブルクのマイスターたちが中心になって完成させたと言われている。11日、カレル橋を渡って始まった私たちの個人旅行は、歴史とドナウをさかのぼり、レーゲンスブルクのこの石橋を渡って終わるのだ。(恥ずかしいほどのこじつけだが。)今日は雨が降っている。初めて傘を開く。7時、大聖堂に行く。私たちだけしかいない。すぐに、中年を少しばかり過ぎた感じの女性が入ってきて、正面右手の礼拝所で祈っている。しばらくすると別の女性が現れて、彼女の隣に並んだ。すると、正面の祭壇の奥のほうから正装の神父様が出てきて、ミサが始まった。神父と会衆の応答などを繰り返している。二人のためのミサ。ただの観光客の私たちは、ろうそくなどを灯してウロウロしていたのだが、出ることにした。

9時半過ぎ、ホテルを出る。雨の中、トランクを引いて駅まで20分ほど歩く。乗車時間までには間があるので、絵葉書を買い、便りを書く。10時33分発のICEに乗ってニュルンベルクまで行き、11時41分のICに乗り換えてシュトゥットガルトまで行く。コンパートメントの列車の旅も快適だ。(「田植歌」の暗譜でもしようか。)ネットでチケットを買ってあったので、あらためて買う手間もいらない。13時53分、シュトゥットガルト着。駅のコインロッカーに空きがなく、トランクを引きながら、シュティフツ教会を見に行こうと歩き始めたが、教会が見え始めたあたりで断念した。シュトゥットガルトから、Sバーンでヘレンベルクへ。終点だ。どんな街だろう?教会は?演奏会はどうだろうか?心配よりも、期待の方が大きい。16時少し前、一番乗りで宿泊所に到着。優しい目をして、静かに話す初老の方が迎えてくださった。21時過ぎ、最後に、先生と吉原さんが到着された。これで、ヘレンベルクに先生とメンバー36名(Sop.8、Alto15、Ten.6、Bass7)、家族7名、添乗員が揃った!

2008年08月16日(土) ブラウマンさんとファビアン君が来る

9時にヘレンベルク、シュティフツ教会に集合。11時まで練習。その後列車でシュトゥットガルトへ移動し、シュトゥットガルトのシュティフツ教会で15時まで練習の予定。朝食時、T氏が、ミュンヘンの総領事からお花が届いているので、先生のお部屋へ運んでほしい、と言われる。ソ、ソウリョウジ?総領事なんて、小説の中だけでしか聞いたことのない言葉だ。T氏は元外交官で、ミュンヘンの総領事も経験されたとのこと。ここヘレンベルクのあるバーデン・ヴュルテンベルク州は、バイエルン州と共に、ミュンヘン総領事の管轄下にあるとのこと。先輩の訪問があれば、いち早くお花を贈って歓迎の意を示す。外交官とは、このような外交上のサインに満ちているのだろうなあ、このサインを一つ見落としたり出し忘れたりすると、それが一国の命運を左右したりするのかしら・・・などと、遠い世界へ思いをはせる。先生は、皆さんが見える所に置いてください、とおっしゃって、結局このお花、帰国の日まで受付の前のテーブルの上に飾られていた。

実はドイツに来る前、一日に2つの教会で歌うなんて、なんでこんなスケジュールを・・・を思っていた。しかし、日をおかずに2つの教会の響きを歌い比べることは、面白い体験だった。ヘレンベルクの教会は小ぶりでよく響く。会堂の前面で話をするとき、ゆっくり話さないと、真ん中あたりでは何を言っているのか聞き取れないほど響いてしまう。歌うについては、声が響きとなるので、声を出すことが怖くない。これに対し、シュトゥットガルトの教会は、容積にして、ヘレンベルクの3倍ほどあるだろうか。ヘレンベルクから行くと、大きすぎて、響きがつかめない。この日、「ラウダーテ・プエリ」をオルガンのある後部2階席で練習できなかったことは、残念だった。

夜、ブラウマンさんとファビアン君が来た。彼は11歳になった。ブラウマンさんご自慢の息子だ。この日の夕食、彼は、わけのわからない言葉を話す日本人に囲まれて、さぞ、びっくりしたことだろう。

2008年08月17日(日) 皆、全力投球でした!

今日は本番。この日のためにドイツにやって来た。7時47分のSバーンでシュトゥットガルトへ向かう。車中、ブラウマンさんがK嬢を通訳に、メンバーひとりひとりにお土産を渡している。いつもの心配りだ。9時から練習。(先生のお咳は大丈夫だろうか。)まず、昨日できなかった「ラウダーテ・プエリ」をオルガンと合わせる。2回。うーん、もう少し練習したい。入り口から見て正面左手、会衆の前に置かれた2列の山台に並び、時間まで練習。右手の2階席では、ブラウマンさんが録音のため待機。10時、礼拝が始まる。まず、後部2階席で「ラウダーテ・プエリ」を歌う。あっ、すぐ後ろにも人がいる、なんて思ったら、気持ちが萎えている。あ〜〜〜、声も。山台の置かれた位置に戻る。お祈りや賛美歌が入るので、順番を見失いそう。と、牧師さんのお話の中に、次に歌う歌の題名が出てくる。”Virga jesse”で合唱団に戸惑いがあったのをお感じになったのかしら・・・・・どうやら、私たちは聖歌隊の役目を無事勤め上げることができたようだ。

夜の演奏会は、18時に宿泊所の練習室に集合の予定。それまでは自由行動だ。私たちは宿泊所に帰って休むことにする。帰りの電車では他のメンバーとおしゃべり。(一体ここは何処?)18時。練習室に集合。声出し。椅子の上にはチョコレートが置かれて、"Herzlich willkommen!" が部屋いっぱいに満ちている。ここで合宿をやりたい!と誰もが思ったに違いない。教会へ移動して練習。21時、演奏会開始。まず、吉原さんの解説。やはり、ゆっくりお話されている。そして先生が振り始める。Aus tiefer Not。皆、一生懸命歌っている。全力投球だ。「田植歌」も無事に終わった。教会のある高台を降って、地元のレストラン「シュバーネン」で打ち上げ。当地での礼拝、演奏会をセットしてくださった吉原さんとご家族、先生のご友人、ヘレンベルクの教会の方、オルガニスト、教会合唱団の指導者の方と何人かのメンバー、宿泊所の方等が出席された。子供の頃、先生からご指導を受けた吉原さんの、先生への感謝の思いにあふれたスピーチが心に残った。

2008年08月18日(金) 夢はヘレンベルクでの合宿

今日も天気がよい。6時50分にバスで宿泊所を出発。30分ほどでシュトゥットガルト空港到着。ここから2便に別れ、フランクフルトへ。フランクフルト13時55分発、LH710便で明朝7時50分成田着だ。フランクフルト空港では、NHK児童合唱団の子供たちがアイスクリームを食べたり、買い物をしたりしている。710便はオーバーブッキングしているらしい。大韓航空への乗換えを募っている。私たちは、「機内食にクッパが出るのかな?」などと、他愛もない話をしている。Hさんが言う。「ヘレンベルクで合宿やるように提案してよ!」

(完)

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