Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

2002年ドイツ旅行私的道中記8月18日

第二次ドイツ旅行道中記(速報版・8月18日)

8月18日(日) 11日目以降

 タールビュルゲル(霧)〜ライプツィヒ(晴)〜フランクフルト(晴)〜成田(曇)

今日は最終日。出発は7時15分。朝早いので、皆眠そう(写真)。ここではハーゲンさんと残留観光組(長い休暇を取れる人はいいですね)が見送り(写真)。大騒ぎをしてエールミューレを出発(写真)。もう一つの宿であるゾンネ前で残りのメンバーを乗せる。ところが、ホームステイの2名が来ていないので、ひと騒ぎに。空港に間に合うかのギリギリのタイミングで2人が到着。どうもホストの方が時間を勘違いしていたらしい。添乗員の壱岐さんがエールミューレへ連絡を入れたらしく、ハーゲンさんが2人を車に乗せて飛んできた。ヤレヤレ、危ない、危ない。また、ヘルガー・モト(?)さんがバスにみえて、誰かを探していたがドイツ語が出来る者がおらず苦戦。もう少しコミュニケーション出来るようにしないといけないですね。てな訳で、バスは一路ライプツィヒ・ハレ空港へ。

日本からの情報では、台風が関東に接近中とか。何とか、日本には着けるらしいが、その後はどこの空港に着陸となるか不明。困ったものだ。とにかく、ライプツィヒ・ハレ空港に到着。何と、ブラウマンが見送りに来ていた(写真)。姿が見えなくなるまで手を振ってくれました、うぅ感激(;_;)。色々とありがとう!!(^_^/~~~) また、現地ガイドとして通訳もお願いしたレイコ・フォン・ハッセルバッハさんとも名残惜しく記念写真(写真 写真)。そんなこんなで、無事ドイツを後にすることとなりました。

うっ、温帯モンスーンの夏、日本へ戻るんだ、暑っ・・・。

ライプツィヒ・ハレ空港(写真 写真)からフランクフルト空港までは国内線なんですが、どうもフランクフルト空港がかなり混んでいたようでずいぶんと時間がかかりました。ついでに、到着が見事に空港の一番端っこ。滑走路へ降りてバスでターミナルへ。今回はフランクフルトでの乗り換え時間が短く厳しいスケジュール。そのため、添乗員の壱岐さんもさすがに慌てたようで、我々をブッチギッて行かれました。おいてけぼりになった我々は子羊のように一箇所に固まるのでした。さすがに、壱岐さんは途中で気づいて戻って来られましたが・・・。乗り換え時間がなくて、ゆっくりとおみやげを買う時間もないくらいでしたからね。 まったく、ドイツまで行って空港でダマになって往来の邪魔をするな > 合唱協会(笑)。 ちなみに、フランクフルト空港の国内線発着場所には白のスマート(某自動車会社が出資したメーカーの作る2人乗りのミニ自動車)が側面にLufthansaと書いて多数走っていた。空港内での連絡や簡単な輸送に使われているよう。空港のような広い所をチョロチョロ走っているとまるでチョロQ((C)タカラ)ですね。

成田行きのLufthansa LH710 に乗ってしまえば後はそのまま。現地時間13時45分、つまり日本時間20時45分ですから、機内も夜モード。何となく夜の雰囲気となり、寝てしまう人が多い(と書いた本人も寝てしまっている)。夜のロシアを抜け、日本に近づく。台風の北上が遅れているため、成田へ着陸が出来そうな雰囲気。関西空港ならまだしも、那覇や千歳だったらシャレにならないし・・・。そしてナンとか、成田へ着けるようで機内には何となく安堵感が漂う。まぁ、ライプツィヒ初日の雨から始まって、洪水の周辺を動き、帰りの最後まで台風。このメンバーの中に雨男または雨女がいるんぢゃ?、と思ってしまう。ところで、成田到着にアト一歩のところでせっかちな団員が機内で立上りスッチーに怒られるが、本人は気づかず、皆に「Oさん!!」と呼ばれるまで気付かないし・・・。

空港ターミナルに入る途中で成田の夏の空気、日本に帰ってきたことを強く実感。帰りは台風のおかげで、上り総武線は東京で折り返しで横須賀線直通はナシ。しかも、横浜が近づくにつれ雨が強くなる。でもナンとかお昼頃には帰宅。皆さんお疲れさま。

ドイツに残っている齋藤さん、やっとみんなのお守りから開放されてゆっくりして来てくださいね。

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