Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

2002年ドイツ旅行私的道中記8月11日

第二次ドイツ旅行道中記(速報版・8月11日)

8月11日(日) 4日目

ライプツィヒ(曇のち晴)

今日は朝早いため、皆動きが素早い。食事中に、齋藤さんから注意がありコラールの歌詞が昨日の練習とは変わるかもしれないとのこと。さっさと、食事を済ませ、支度をして外へ出る。曇でやや肌寒い。靄のかかる街がなかなかきれい。ニコライ教会(写真)及びトーマス教会(写真) (写真)の塔が真下から見ても霞んでいる。

8時15分に教会へ到着。ゆっくりと中を見ながら聖歌隊席へ。支度を済ませると、やはり歌詞が変わるかもしれないとのこと。皆、少し動揺。体操と発声が終ると、ビラー氏登場。まず、式次第の説明(写真)。ナンと、式の途中で洗礼式もあるとのことでしたが、結局はこちらは上の奥まったところにいるため様子がよくわかりませんでした。貴重なところを見ることができなくてちょっと残念。礼拝式のなかの聖歌隊の役割をするのは緊張しますね。横浜山手教会のカントールによればカトリックと式次第は殆んど変わらないとのこと。歌うタイミングはビラーさんより指示してもらうため、あまり不安はない。何とか、歌詞変更はなく一安心。あと、配布された式次第等にはYokohama-Bach-Chorとあり、これは牧師の方が当会の方針をくんで意識的にこの名前にしたようだ、とビラー氏が言われておられました。そして、改めて八尋先生がビラー氏に挨拶をされ(写真)、練習開始。ビラー氏の指揮は八尋先生と異なり、非常にダイナミックにしかもご自身も歌いながら振られるので圧倒されるというか乗ってしまうというか・・・(写真)。ひととおりの練習を終え、緊張の待ち時間(写真)

とにかく、そんなこんなで始まってしまった礼拝式。しかし、5年前と同様お説教が長く、半分意識が飛んでる人が多かった?

とにかく、一応トマーナの代役は果たせたようです。でも、その後は聖歌隊席で余韻を楽しんだり、記念撮影をする間もなく追い出される(聖体拝領がこの直後にあった)。仕方なく、新バッハ像の前を不法占拠して、ビラー氏や三森さんやネーベルングさんも交えて記念撮影(写真) (写真)。おかげで他の観光客の顰蹙をかう?

打ち上げは、お昼をかねてペッツォルトさんの予約してくれたチューリンガーホーフで(写真)ビールほか飲物で乾杯(写真)。コントラバスのネーベルングさん(写真)(彼がコンバスを持っていると、コンバスがチェロに見える)は途中でお帰りに。ビラー氏よりご挨拶(写真)をいただき(ビラー氏より八尋先生へのプレゼントもあり(写真))、八尋先生、オルガンの三森さん(写真)、フォーゲルさん(写真)、太田先生、森先生より一言。料理のメニューはまずスープから、メインは豚か牛かの選択。牛にはお待ちかねのイモ団子(クネーデル;これって田舎料理よ!:齋藤・談)付きでしたが、これを待ってたのはわたしだけ? デザートはベリー類にクリームをかけたもの。甘過ぎず美味しいが何しろ量が多い・・、食べても食べても減らない。ブラウマンのママは全部食べたらしい。あのパワーの元はこの食欲か? このデザートを完食した日本人は八尋先生・他数名のみ。すごいなぁ、みんなお腹一杯。

なんと、この時に2004年3月21日に日本でマタイ受難曲初稿をビラー氏の指揮でお願いしてしまった! パワフルというか図々しいというか、とんでもない団ですネ。

また、ビラーさんの1996年のヨハネ受難曲(第2稿)の時にソロをお願いしたフォーゲルさんは娘さん連れで。かわいい娘さん(写真)に喜んでもらおうと、こちらより持参した千代紙で大折り紙大会。そして、代表より締めの挨拶で、演奏は半分しか終わっていない、と(写真)

終わった後、テーブルを見ると出されたワインがずいぶんと残っている。それを見たあるオネー様はアタシに「やまださん、残ったワインは各テーブルにあるミネラルウォーターの空きペットボトルに入れるのよ」とそそのかされ、店の人の冷たい視線を浴びながら3つくらい作ってしまいました。すると、「ぢゃ、やまださんもって帰ってね」。って、オネー様んが飲むんぢゃなかったんすかぁ? あと、店の方々も我々がずいぶんと残したのにちょっと不満そう(もう入らないんだから勘弁してください)。

実は、このお店、5年前の前回も最終日にメンバーが自然集結して、大騒ぎをしていた。これも縁でしょうか?(写真)

ビラーさんに振ってもらって楽しく歌えた。もう少し何か言ってもらいたいとおもうのは贅沢か? 一昨日も昨日も結婚式で、今日は洗礼式で、けっこう教会も忙しい。おかげであまりゆっくり中が見られなくて残念。

しかし、そうはいっても今日がライプツィヒ最終日。Thomasshopでの買い物をはじめ、やり残したことを済ませるために皆ひたすら動く(Thomasshopや中央駅モール等の一部は、日曜の午後も営業している)(写真)

昼食後、15名限定でペッツォルトさんのお宅へ訪問。路面電車で約30分走った終着点(写真)。彼の家は、外から見ると何やら由緒正しそうなたたずまい。入口の扉にようこそと彼直筆の絵が貼ってある(写真) (拡大写真)。相変わらず素敵な絵だなあ。中へ案内されて、乾杯の一杯をいただきながら(写真)、家宝の古い聖書(バッハ以前の新約聖書ですっごく大きくかつ厚い)を拝見(写真)。3階建ての家は、1階は教会のもの・2階はご夫婦・3階は子どもたちだけのものだそう。そして、広い庭(写真)にあるテントの下でお茶と手作りのケーキをいただく(写真)。手作りのケーキはあまり甘くなくてとても美味しいので皆いくつも食べる(あんなにお昼食べたのに、甘いモノは別腹?!)。その間、ペッツオルトさんにサインをしてもらったり(写真)、即興で色々な物に絵を描いていただいたりしました(帽子(写真)・かばん!!)。

広いお庭に色々な木が植えてありリンゴがなっていたのを八尋先生がもいで食べておられました。うらにはケーキに使ったベリーが沢山なってた。こんな庭の家に住めるなんて日本ではソートー贅沢。同行した某世界史教諭が隣(っていうか敷地内!!)にある教会の中を見たいとワガママを言い出す。あまり大きな教会ではないが建てられてから900年以上するため、必要なときにしか開けないらしい(写真)。そのために、管理人の方がわざわざ鍵を持って来られたのでお礼の1曲。でも、常時使うために常に手を入れているため、あまり古い物はなかったよう。ペッツオルトさんが3階にあるオルガンをひいて歌ってくれました。オルガンの響きと教会の軽い残響がペッツオルトさんの声を一層引立てて素敵(写真)。そして息子のヨーナスくん(2000年に父上と来日して「アキハバラ」と言っていた時は可愛い感じが残っていたのに、今はもうすっかり成人って雰囲気)が教会の説明(写真)。なんでも彼の宿題が教会の建築様式などのレポートだそうでかなり詳しく調べられたよう。件の世界史教員はそのレポートを欲しがっていた。で、お礼にこちらから1曲。なかなか歌い易い教会だった。外へ出るとにわか雨が降って来て慌ててテントの中へ。よく見るとテントの中に蔦が這わせてあり、わざわざ着けたのだと気づく。あちこちに花もかざってあり、色々と気をつかってくれたのだなぁ、と感激。ひととおり騒いで、失礼しました。(お伺いメンバー写真)

帰りも市電で帰る。この市電は意外に飛ばすのでコワい。八尋先生はいつの間にか途中下車、どこへ行かれたかはナゾ。我々がホテルに戻ったのは7時過ぎ。今日もよく疲れました。しかし、トランクが主とは違う空港に行った事件はまだ解決ならず(どーした○ールフランス)。

ライプツィヒで感じるのはまだまだ工事中の場所が多いこと。5年前とは異なり、大型クレーンの数はめっきり減ったが、更地や廃墟状態の建物も少なくない。どこかの国と違って、土建業者が沢山あるわけではないのだろう。でも、彼らは全然慌てておらず、自分たちのペースで街を造り直している。そこには確実に復帰させようとするエネルギーを感じることが出来た。

ただ、喫煙に関しては日本に似たような状態で、歩行喫煙者が意外と多く見受けられた(あまりタバコの煙に強くないため敏感に反応する)。が、街自体は、日本のようにタバコなどでひどく汚れている場所はあまりなかった。でも、ペットボトルはあちこちに散乱していた。ペットボトルってそーゆーモノなのかしら?

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