Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

2002年ドイツ旅行私的道中記8月13日

第二次ドイツ旅行道中記(速報版・8月13日)

8月13日(火) 6日目

アンナベルク(曇)

オプションの出発が早かったので8時に起きたらほとんど皆いなかった。ついでに、某JR職員は蒸気機関車に乗るといって、バスで出かけたそうな、さすが鉄チャン、さすが本業。

のんびり朝ご飯を食べていると、残っている人達でブロイティガム氏がオルガンを聞かせてくれるそうだとの情報が入る。さらに、オルガン演奏の後、近くを案内してくれるオプションもあるとか。そんな話をして、少人数で贅沢なこのイベントを楽しみにしながら残留組が朝食をとっていると、なんとオプション(古城街道)に行ったはずの人達が帰って来た。なんでも、途中が洪水で通れないので中止して戻って来たとのこと。

そんなこんなで、本来のオプション組も含めて教会へ行って(写真) (写真) (写真)中を見ていたが、肝心のブロイティガム氏がなかなか現れない。ガイド(?)のお兄さんから氏が遅れるのでと、先に教会の中を案内してもらう(写真)

アンネン教会の成立

銀鉱脈発見の言い伝え。15世紀中頃

ある若者の夢に天使が出てきた。その夢には木の姿が現れ、天使曰く、その木に鳥の巣に3個の金の卵があると。目が覚めて若者は木を探しにいった。その木はすぐ見つかったがいくら木の枝の上を探しても鳥の巣はみつからない。その夜、夢にまた天使が現れ、木の枝は地上だけでなく、地下にも伸びていると教えてくれた。その翌日言われたとおり、木の根っ子を掘って行くとなんと銀の鉱脈を見つけた。

これがここの鉱山の始まり。その後、いわゆるアメリカのゴールドラッシュと同様に採掘でヒトヤマ当てようという人達が多く集まり、やがて街ができた。しばらくは鉱山として栄えたが、19世紀には採掘できなくなり閉山した。東独時代は国境付近なので、お金も出してもらえず。二次大戦後、アメリカの占領地だったが、ここの鉱山からウラン等が取れるというので、旧ソ連が西ベルリンと交換をしてもらったらしい。丁度日本に原爆が落ちた頃ソ連もウランが欲しがっていたから。キュリー夫人の使ったラジウムもこの近くのもの。

鉱山のまちの教会

最初は現在の教会中央に小さな教会が建っていた。街が大きくなるにつれ教会も大きくする必要が生じ、元の教会を囲むように新しい現存する建物をつくった(その為もあるのか、すっごく大きな教会)。15世紀頃の石組みの教会。新しい町で皆同様に仕事をしているため、住民の間では平等な意識が高まり、教会の作りもそれを反映して説経台を中央につくり、さらに会衆が向かうように座っていた。前には3つの祭壇。真中の祭壇はイタリアの大理石を10種類も使ってある。微妙な色の違いがとても素敵。左側の祭壇の裏に、そのころの鉱山の様子が描かれている。後日、ブロイティガム氏曰く、その絵にはそのころの人々の様子を描いたモノとしては初めて女性が登場している(写真)、とのこと。中の壁面・柱・装飾などは近年改修したもの。改修は慎重に行なわれ、建立当時の状態を心がけて再現されている(写真)

鉱山では一日坑道にいるため、特に冬は太陽が拝めない(写真)。このことから、坑道で働く人たちをねぎらうため、アーチ状に木を組んでそこにロウソクを一杯立てて明るくしたそう。その名残が、現在おみやげやさんに売っているアーチ状の木彫り製品。廃坑後はレース製品を盛んに作るようになった。よって、この2つがここのメインのおみやげ、とか。

説明終了からかなりして、ブロイティガム氏登場(写真)。何と昨日の帰り道に増水した川に車がはまってしまって、消防士の人に助けてもらって帰宅したのが午前3時だったそうです。氏曰く「J.S.Bachでなく本当のBach(小川)にはまってしまった。」って大変だったでしょうに、毎日色々とありがとうございます。

ちなみに、この教会も観光地となっている。常に教会内には、いかにもな観光客が多数ウロウロしており(教会が広いのであまり気にはならないが、かなりの人数)、しかも案内する人が2〜3人常駐して、教会内の説明をしている。教会内の売店も常に混んでいて、なかなかゆっくりと見ることが出来ない。しかも、外に出れば観光バスが教会前に観光客を落としては去り、落としては去りを繰り返す。いやぁ、大変な所へ来てしまったモノです。

齋藤さんを始め約10名がブロイティガム氏の車で彼お奨めのレストランへ。レストランは高台にあり良かったらしいのですが、氏の運転がかなり過激だったとか、なかったとか。確かに、全体的な傾向としてドイツ人は車で飛ばしますね、日本を走る日本人と比べても。

今日はかなり寒い(最高気温16度とか)ので衣類を買い込む人多数。思ったよりお店が多くほっとする。お昼は、レストランにに食べに行く人あり、ホテルのスペシャルを食べる人あり、アジアンフードがあって喜ぶ人あり。ここでやっと3人のトランクが着く。どこまで行っていたやら。トランクの傷がかなり増えたとか。でもよかったねえ(実はハンブルグまで行っていたらしい。もう少し何とかしてね > エール○ランス)。前回の旅行が順調すぎたのでしょうね、今回はいろいろあるように思うのは。

4時30分に教会に集合して練習。教会までの道沿いにおみやげ屋が沢山ある(箱根に行って箱根細工を買うようなモノ?:神奈川県人的発想)(写真)。おみやげは先の2つの他に、木製の香をたく人形や飾りが多数種ある。かなりの人が煩悩の塊になっていました。で、まづ、ブロイティガム氏の教会の説明(写真)。また、教会区の代表ドレクスラー氏よりご挨拶をいただく(写真)。そして練習。ここの教会は残響5秒くらいあってびっくり、それに慣れるのが難しい。しかし、Bachはスゴイ残響の中で聴いてもいい感じ。レーガーはどうだったのだろうか? (写真)

練習後ホテルへ戻り、夕方のニュースで前々日オプション組が行ったドレスデンが水浸しになっているのを見た。プラハも水浸しらしい。かなり大規模な水害のようだ。エールミューレは大丈夫だろうか。ニュースを聞いていてWasserという言葉を何度も聞いた。世紀(100年に1度)の大水害といっているらしい。

夜ご飯もおいしくいただいて、我々はとりあえず一安心。例の3人のトランクが届いたせいか安心したのか、ショウもないネタでメーター振り切れまくる該当某女史。

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