Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

2000年30周年記念誌web版

付録

30周年記念アンケート

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演奏歴

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30年のできごと

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会員名簿

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横浜合唱協会創立30周年に関するアンケート

30周年記念演奏会に旧会員の方が大勢ご来場下さいましたので、YCS初の試みとして、柴田寿子さんがまとめ訳となり、演奏会の感想や現在の横浜合唱協会についての意見等をアンケート方式で集めました。

■アンケート概要■

対 象旧会員、維持会員で現住所が判る方
36名
方 法郵送による配布ならびに回収
回答者36名中14名
実施時期平成12年8月下旬〜9月中旬
質問事項以下のとおり
  1. 30周年記念演奏会・レクチャーコンサートの感想
     8月6日の記念演奏会はご来聴いただけましたでしょうか。その時の演奏についてのご感想をご記入下さい。また8月5日のレクチャーコンサートにもおいでいただけましたら、合わせてご記入下さい。
  2. 現在の活動についての意見・今後への希望
     横浜合唱協会(YCS)も今年で創立30周年を迎えました。現在のYCSの活動に対するご意見ご感想、および今後YCSはこのような方向を目指して欲しいというようなご希望がございましたらご記入下さい。
  3. 在籍時のYCSの様子および次世代に語り継いでおきたいこと
     草創期および70年代前半のYCSの姿を知る会員は、ほんの数人になりました。貴方が在籍当時のYCSはどのような団体だったのでしょうか。心に残る演奏会、練習風景、合宿のこと、何でも結構です。当時のエピソードを交えてお聞かせ下さい。また、特に次世代に語り継いでおきたいことがありましたら、ご記入下さい。

(以下アイウエオ順)

石田愛子(1972.9〜1987.4在籍)

  1. 長い間姿勢を変えず歌い続けてこられたことに、頭が下がる思いです。これからも同じ合唱協会であることを切に望みます。
  2. 技術的には現在の方がずっと向上していると思いますが、昔は万事ゆったりと時間が流れていたような気がします(とは言え年2回の演奏会をこなしていましたが)。周りの雑音も少なく心から歌を愛していた人々が純粋に集まっていました。そして指揮者もソリストも一流であったと思います。それぞれの魅力溢れる人間性に心動かされ受難曲、カンタータ等感動を以て歌えたことは私の一生の宝物です。

岩田裕弘(1980〜1984,1988〜1989在籍)

  1. モテットはやはり難しい曲だなと実感しました。マルコ受難曲は、バッハの部分と補筆の現代曲の部分とのマッチングが興味深く、退屈せずに聴き通しました。あの演奏会は、マルコ受難曲だけでも良かったのではないでしょうか。
  2. 30周年、お目出度うございます。合計して5年少ししか在籍していない私にも、最も親しみをもって振り返ることの出来る合唱団です。年齢の差、職業の多様性、ある意味での技術の差をつつみ込む「アットホーム」な雰囲気のある団だと実感しています。更なる飛躍の為にはアットホームな、だけでは駄目なのではないでしょうか。幅広いアマチュアに門戸を開く、あたたかい合唱団として存続していただきたく思います。
  3. 私が在籍していたのは80年代前半中心ですので、何人もの方が、まだ現役で唱っておられます。当時は(私も含めて)元気さで押し切る感がありましたが、今や円熟の味のあるバランスのとれた音色になったな、と感じています。更なるご発展を願っております。

大石むつみ(1976.7〜1990.10在籍)

  1. モテットは二曲とも素晴らしかった。特に《イエスよ、わが喜び》にはとても感動した。生の演奏でこんなに情熱的なこの曲を聴いたのは初めてです。楽譜を正しく理解した上でこれ程バッハの曲を自由に演奏できることを改めて認識したことでした。所々でパート内の声のばらつきを感じ惜しいと思いました。もっと声を揃えて、更にPやPPの響きにみがきがかかればGute Nacht の旋律などがもっと美しく流れて行くことと思います。それから《マルコ受難曲》、ブロイティガム氏作曲の部分は、オルガンによる不協和音や打楽器のリズムの効果が物語を盛り上げ、聴き手を引きつけていた。バッハ作曲の部分とは余りにも対照的な音楽で、実際聴いてみて軽いショックを覚えた。私個人としては《ヨハネ受難曲》や《マタイ受難曲》のようなレチタティーヴォの方が好きです。客席で対訳の字幕が流されたのはよかったと思います。終曲の歌詞は心にしみた。特に終わりの部分の「私の内にあるイエスを葬りました」という言葉にはとても感動してしまいました。この演奏会を聴くことができて本当によかった。レクチャーコンサートには残念ながら伺えませんでした。ビデオで拝見するのを楽しみにしています。
  2. 私が初めて参加したのは70年代後半です。若杉弘先生指揮による《ロ短調ミサ》、八尋先生によるモテット全曲演奏、そして再び若杉弘先生で《マタイ受難曲》とJ.S.バッハの大曲を続けて演奏しました。そしてその後長い年月をかけた「合唱の歴史連続演奏」に入りました。この歴史シリーズの中でヘンデルを唱った時、団員の人数が急激に減ってしまい、とても不安になったことを思い出します。合唱協会の大黒柱である「企画」がしっかりしていて、長期計画で曲目を設定し、演奏会を一つずつ着実にこなして行こうとする姿勢はあの頃も今と同じです。最近、定演の後のレセプションでソリストやオケの皆さんが一緒に参加して楽しいスピーチをしたりして和気相合と演奏後の開放感を味わっているのを見ると、ああこういう雰囲気っていいなあとつくづく思います、70年代〜80年代のソリスト達はその点もっと遠い存在に感じました。プロの演奏家の意識が時代と共に変わってきたのでしょうか?

大竹衣子(旧姓:加賀山)(1963〜1974?在籍)

  1. にお答え致します。
    • 私が在籍していた頃はまだ「YMCA草の実会」でそれから数年してYCSに変わり、曲目もポピュラーな曲から宗教的なものに変わり、安易な気持ちで入会した私は譜面もなかなか読めず、皆の足を引っぱらない様に必死でついていきました。YCSになってからは練習場所もその都度変わり、会社を終えてから練習に行くのが一苦労でした。そのぶん練習が終わってからの一休みはお茶を呑んだり食べたり真っすぐに家に帰る事はなく、それが楽しみの一つでした。今となっては、とてもなつかしく思い出されます。
    • 当時は日産の社員の方が多く、夏休みの合宿(リクリェーション)も日産に合わせて車で(あの頃はほとんど皆さんサニーに乗っていました)あちこち自分達で行けないところにつれていっていただき、とても楽しい思いをしました。若かったせいでしょうか、特に清里高原での合宿が今だに心に残って居ります。
    • コンサートの思い出と言えるかどうかわかりませんが、座間の米軍キャンプでのクリスマスコンサートと横浜公園内での教会のミサ?の聖歌隊、いつもと違う場所での貴重な体験でした。
    • 私は数年、会の会計をやらせていただき、その当時は演奏会が終わるとたいてい黒字になり、私の一存でパーと飲み食いをしてまだお金が余っていました。今思うと本当に恐ろしい事をしていたと思います。いい加減な会計でした。今はどうですか?
    • 2年前に個人でドイツに2週間程行ってきました。トーマス教会にも行って来ましたが、とても感激しました。あんな所で歌えるなんて皆さんとても幸せですね。いろいろ書いているうちに走馬灯のように昔の事が思い出され、合唱をやっていた10年間は私にとって青春の一番大事な宝ものです。昔の楽譜、コンサートのポスター、思い出同様宝物としてこれからも大事にしていきたいと思います。
    • 最後に、長い間合唱協会にたずさわられた雀部さんほか皆様に心から感謝し、これから益々の発展をお祈りして終わらせていただきます。次回のコンサートがんばって下さい。楽しみにしています。

勝山久仁子(?〜1974在籍, 維持会員)

  1. ただただ、皆さんの情熱に敬意を表します。
  2. 関東に出て初めてのコンサート。知人が出演(オケ)していたので聞きに行ったのがモーツァルトの「レクイエム」、YCSとの出会いです。楽しかったことしか覚えていません。今も歌っています。

柴田秀男(1971〜1972,1974〜1990在籍)

  1. ブロイティガム補作部分との関係が興味深かったのですが、ほとんど違和感がなく、自然につながっていました。レクチャーコンサートで予備知識があったからかもしれません。演奏のレベルも曲を紹介するのにふさわしい状態でした。このマルコ受難曲は、ドイツで相当な回数の演奏がされているようですが、日本ではおそらく、今後もほとんどなさそうです。それだけに今回は画期的であり、貴重な演奏会だったと思います。
  2. 合唱団の目標としてはじめから掲げられていたとはいえ、前後20回以上及ぶバッハの連続演奏会が、現在の横浜合唱協会を育ててきたといえるでしょう。今後もその方向でいくとよいと思います。入団に際してオーディションこそ行わないものの、50歳以上の入団者は断るなどしていますが、これは演奏のレベルを保つ上ではかなり重要なことと思います。一般に20年、30年と経つうちにメンバーの平均年齢が上昇し、それに伴って演奏の質(声の音色、テクニックなど)が低下していくのは避けられないことのようです。昨今若いメンバーが集まりにくく、自然に若返りができないで苦労している合唱団が近辺にもあるようです。横浜合唱協会の場合はこの循環は割にうまくいっているようですが、単に年齢的に若いだけでなく、参加する意識、団の中における自分の役割(役員などに限らず、パートの中での演奏者としての役割も含む)、貢献度などを年齢的に上の人(合唱団の中での先輩)と同じように自覚していかなければならないと思います。
  3. かつては週2回、平日の夜に練習がありました。そのためとくに男声は遅刻がちで、開始時にはT1人B1人などということもよくありました。そんな時、人数が少ないほどはりきっていました。ただその時でも個人的に歌って満足するというのではなく、質の高い演奏をめざすという意識は常にあったと思います。初めから個人のレベルが高かったとも思えませんが、次第に成長し、何年もかけて全体のレベルを徐々にあげていったと考えられます。現在は合唱全体のレベルが相当高いと思いますが、個人的にみたときに意識の上で今のレベルを維持できるかどうかが、今後のカギだと思われます。

清水正子(1979.1〜?在籍,維持会員)

  1. 演奏会の曲目、スタイル(エヴァンゲリスト・打楽器の位置)等、新しい試みとして興味深くうかがいました。いつもより大分慎重な唱い振りに思えました。
  2. 合唱が好きで力のあるメンバーが多い現状のように見えます。いつまでも質の高い演奏が出来るよう。八尋先生を大切に。今のカラーは大変好感が持てます。
  3. 入会したのは作曲家シリーズの2回目、モンテベルディから。5年計画の企画をひたすら追いかけて作品ができていく在り方に清々しさを感じ、楽しく参加させていただきました。企画が進んで、ヘンデル、ベートーヴェン、シューベルトとなると団員が激減し、バッハになると復活という数字を見て、自称「横浜バッハ協会」と誰かが云ったのを納得しました。

堂崎律子(1979.1〜1988.7在籍、維持会員)

  1. 海外の演奏旅行もこなす、実力のある合唱団になりました。活動も演奏もよりレベルアップして、いつかは復帰したいと思っていましたが、とてもとても、もどれない・・・という思いです。10年のブランクは、想像していた以上に大きいです。皆様のご活躍と合唱協会の一層の発展をお祈り申し上げます。
  2. 私が入会した頃は、金曜夜の練習は三ツ沢のアンデレ教会、月1回の日曜練習は桜木町の本町小学校でした。今のように地下鉄がなく、西口からバスに乗って通いました。クーラーもない夏場の練習は暑かったけれど、今ほどではなかったような気がします。高台にあるアンデレ教会からの横浜の夜景が、とてもきれいだったことを覚えています。練習が終わると坂をかけおりて、みんなでタクシーを拾い相乗りで西口へ・・・。雨の日などタクシーがなくて大変でした。

中西 勤(1970?〜1973?在籍)
 中西小夜子(草の実の頃〜1975.10在籍)

  1. 団の御発展と御活躍を拝見し、とても嬉しく思いました。今迄の積み重ねを大切になさって下さい。
  2. バッハシリーズに初めて取り組んだ頃、大磯にある(あった?)アカデミーハウスで合宿をし、小林道夫先生に初めて御指導いただきました。フレーズを息を使い美しく歌うことを、ドイツの風景を交えた説明でお教えいただきました。皆、バッハシリーズに取り組む喜びで一杯でした。
     PS.岐阜に住んで20年以上になりました。この地にも岐阜バッハ合唱団という合唱団があります。YCSに似た曲に取り組んでいます。主人は仕事が忙しく、歌っていません。・・・・女性コーラスに入り様々な曲に出会いました。・・・・最近は一般公募のオペラ、モーツァルトのレクイエム、フォーレのレクイエムと昔歌った大曲を歌う機会にも恵まれ、曲の美しさに新たに感動しています。今も歌える喜びの原点はYCSと思っています。発声の方も時代とともに変化してゆく様子です。今はアカペラに合うピッチの高いノンビブラートの音色で、息で抜けるようにして・・・と難しい注文が多いみたいです。それにしても合唱の楽しみにまだまだ浸ってゆきそうです。YCSが岐阜でも公演して下さったら嬉しいわ。・・・・・・(以下省略)

中西 昇(1985.5〜1989.4在籍)

  1. 懐かしい横浜合唱協会の名前を本当に久しぶりに目にしたのは、朝日新聞の横浜版でした。本邦初の「マルコ受難曲」を、しかも東京で演奏するというニュースであり、何とか仕事をやりくりし、公演日の朝になって当日券が入手できることを確認し、出かけていったのですが、八尋先生をはじめ、協会の皆様にこのような輝かしい舞台で再会することができたことを先ずは感謝致しております(バッハのお導きか?)。
     演奏内容については現代音楽とバッハの音楽とのコントラストに強い衝撃を受けましたが、それがまた新鮮であり、劇的でもあり(前日のレクチャーは聴いておりませんが、レチタティーボは今となってはこんな風に作曲する他はないのでしょうね・・・)全体としてバッハの素晴らしさが改めて実感できるものでした。
     演奏が終わり拍手喝采の中、あたかも自分がそのステージで皆様とともに唱いきったかのような喜びと充実感に満たされ本当に感動致しました。
     没後250年というこの記念すべきバッハイヤーに、バッハのために何かをしたいと思いつつ7月28日が過ぎてしまいましたが、8月6日、会場で多くの方々と共に感動を分かち合うことができたことで供養ができたような気持が致します。そしてこのような名演奏を成し遂げた合唱協会に、一時ではありますが自分自身も籍をおくことができたことを大変誇りに思います。本当にありがとうございました。
  2. 横浜で根強くバッハをうたい続けて欲しいです。
  3. 私の初舞台はカンタータ21番でした。終曲のコーラスが盛大な「ハレルヤ」で閉じ、感激のあまり腰が抜けて、しばらく立つことができなかったような記憶があります。当日、山梨学院大学音楽科の荒川恒子教授もお見えになり、素晴らしい演奏であったとのお誉めのお言葉をいただきました。練習後の一之蔵(桜木町)での一杯を何よりも励みに(女性の会員も3回に1回くらいはおつき合い下さった)通ったものです。

中山元子(1982.5〜1997.12在籍)

  1. 此度は芸術劇場の格調高きホールにふさわしいYCSの素晴らしい演奏を聞かせていただきまして、心洗はれる思いでございました。此様な合唱団の一員であったことを誇りに思ひます。字幕が出たことで若き友人は、内容がよく分かってきく事が出来たとよろこんでをりました。
  2. 私は1982年モーツァルトのレクイエムの仕上げの練習をしてゐる頃入り、退会の時1997年、フォーレのレクイエムの練習に入ってまもなく休むようになり、主人の病の重大さに止むなく退会を決意致しました。入会した頃は、まだ横文字もろくに分からない私でも何とか歌ってゐられました。私は今考へます時、YCSが念願であったドイツでの演奏旅行が1997年に実現した15年前、1982年5月に入会致しました。此年指揮者の八尋先生が国費留学の研修員に選ばれ、1983年2月ライプツィヒへ行かれ、彼の若き指揮者であったビラーさんとの出会ひがあったのです。ドイツから帰国なされた先生は大変きびしくなり、少々なまけてゐた会員にとって譜面を外されたことにはおどろきました。それからは練習についてゆかれない人はやめてゆき、その頃からYCSはどんどん生長期に向かひ、私も継続を力としついてゆきました。1988年の一年100%の皆勤賞をいただき、雨の日、風の日、大雪にもめげず練習に出ました。この頃から質のよい会員が入会してくるようになり、バッハの大曲を次々こなしてゆきました。そして1985年ビラーさんがソリストとして来日、此時YCSとの記念すべき最初の出会ひを八尋先生の奥様がつけて下さり、以後1990年「ロ短調ミサ」、92年にビラーさんはトマスカントールに就任なされ、96年「ヨハネ受難曲」をカントールのビラーさんに指揮していただき、97年8月ドイツ演奏旅行となったのです。此15年間をきっちりYCS会員で歌ってこられたことは誠に不思議な人生ドラマを感じたものです。八尋先生が聖トマス教会にビラーさん指揮するYCSの合唱の鳴り響いた時「よくぞここまで・・・」との深い思いを持たれたようですが、私も夢中で歌ってきて正直ドイツでの演奏はYCSについてきたエネルギーを出しきった感が致してをりました。此間主人は全ステージを聞きにきてくれ、私を励ましてくれたものでした。

万年 武(1962〜1992在籍, 維持会員)

  1. 両日共、大変豪華で立派なものでした。
  2. 八尋先生と谷口先生の熱心なご指導ご助言があっての30年だったと思う。心より感謝。
  3. 横浜で多くのアマチュア合唱団が、30周年記念誌を発行したあと、急速に衰退していった。そうならないためにも、なつかしい話や自慢ばなしだけでなしに、むしろ次代に向けての若い人達の夢や希望がいっぱいの記念誌になるよう願っている。

村井百合(旧姓:沢田)(1982.3〜1985.3?在籍)

  1. 私の両親が聴きに伺いました。大変素晴らしかった感動したと言っておりました。
  2. 今後もバッハ専門の合唱団として、ますます御活躍下さい。
  3. モーツァルトのレクイエムの演奏会前だったと思いますが、御殿場のYMCAの合宿で、朝から晩まで歌い続けた事が印象に残っています。

和気洋一(1976.9〜1991.4?在籍)

  1. 安心して聴いていられる大人の団体に成長したと感じました。逆に冷静になりすぎているという印象もあったのですが、曲の性格上で適切であったと思います。それから、セレクションメンバーによって歌われた部分、及び団員がソロを受け持つ部分も丁寧に美しく歌われており、合唱団の実力をよく示していました。曲の印象は、マルコ受難曲を代表して書くと、最初はレシタティーボの不協和音に、違和感を感じていたのですが、聴き進むに連れ他の受難曲との関連性を考慮していることも感じられ、途中から素直に聴くことができました。オリジナルの198番由来の楽章はとても内省的な素晴らしい曲でした。またビラーさんのコラールの解釈も素晴らしくYCSも良く応えていました。
  2. 旧会員からこのような意見を書くのはおこがましい事ですし、ホームページ等から推察するしかないことを前提にします。海外公演など積極的に外へ出ようという姿勢もあり、非常にけっこうだと思います。今や横浜の団体という枠を出て、日本を代表するアマチュアBachへ飛躍している印象も受けました。今回の記念演奏会を東京で実施されたのもこのような姿勢の現れだと推察されました。演奏歴もBachだけに偏らず途中に玄人好みの選曲をしているところは「いかにもYCS」だと思わせられます。今後とも今の方向性を進められればと思います。
  3. 私がYCSに入会したのは、二十歳になりたての大学2年の秋でした。当時クラシック音楽はある程度好きでしたが、歌といえばBeatlesの曲をギターで弾き語りするぐらいでした。それが入会するや否やミサ曲ロ短調で、さらに合宿を直前にひかえていました。合宿先は山中湖の学生宿のようなところで、練習個所は当時所属していたBassパートがソロで詠唱するCum sanctoの部分でしたが、何といきなり一人ずつ歌うこととなり、しょっぱなに肝を冷やしました。でもその後はBachの音楽と合唱音楽の素晴らしさにすっかり取りつかれ、YCSは私の青春時代の大きな一部分を占めることになりました。所属中は現在の団員の皆様もそうであるように、世代、仕事、性別の異なる多くの友人を得て、練習時間以外(練習後の飲み会)にも充実した時間を持てました。
     このように楽しい活動も、それを支えるメンバーの自主的な運営があってのものですし、いままでYCSがこれだけ持続し発展してきたのも団員の努力、特に先生方および中心メンバーの熱意があったためだと思います。これからも、充実した活動をされるように、元会員として温かく見守っていきたいと思っています。
     先生方、団員の皆さまにもよろしくお伝え下さい。
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