Yokohama Choral Society
-横浜合唱協会-

2000年30周年記念誌web版

I. 創立30周年に寄せて

横浜合唱協会との思い出

八尋 和美

あれは1973年8月下旬の残暑の頃だったと思います。

東混の指揮者田中信昭氏が、習志野の私の自宅にやや唐突に現れました。その頃私は可成り重い結核の為3年間の療養生活を終え、退院したばかりでした。まだ病院ボケのまま自宅療養中の私を、見舞いに来られたのです。その折に、私の社会復帰の最初の仕事の一つに、横浜の合唱団の話がありました。彼曰く「優秀な合唱団だと聞いているから、やってみませんか」と。

9月に入ってから、その合唱団の代表万年武さん(現在維持会員)と、指導に当っておれた永見冨久好先生お二人に、信濃町東混練習所近くの喫茶店でお会いしたのが、横浜合唱協会との縁の始まりでした。そしてお二人に、合唱団の現状や目的等色々なお話を伺う中に、何よりも合唱音楽に真摯に向きあっている団体という印象を強く持ったものです。お引き受けする事にして、練習日時と場所を確かめてお別れしました。

ここから少し裏話をしなければなりません。明くる日には万年さんにお断りの電話を入れてしまったのですから。前に書いたように3年間の喧騒社会からの隔離は、私からすっかり体力の自信を奪っていました。横浜への交通手段(当時横須賀線直通快速は未通)と、金曜日夜の練習時間を考えただけで、当時の私には消極的な判断しかできなかったのです。180度転換の私の電話を受けられた万年さんも驚かれた事でしょう。何しろ外見は元気そのものの人間から、その様な申し出なのですから。而し彼は引き下がりませんでした。あらゆる方向からの熱い説得に、私は動かされてしまいました。

横浜合唱協会との最初の練習所は東白楽で、曲はBachのクリスマス・オラトリオだった事を覚えています。今振り返ってみると、あの頃大病を患わなかったら、横浜合唱協会との縁はなかったかも知れません。更に万年さんが、私の優柔不断な申し出を率直に受け入れていたら・・・・。

人生の分岐点は、思いもかけない所にある様です。

あれから27年もの間、合唱協会を通じて、数えきれない程の名曲に触れ、ステージの感動を体験し、善意の人達との出会いがありました。その全てが私の貴重な財産になっていることを、心から感謝しています。

さて新しい世紀に向い、横浜合唱協会はどの様に発展して行くのでしょうか。楽しみに又一緒に確かな足どりで、一歩一歩、歩き続けて行きたいと思っています。

(指揮者)

 

一粒の種から

永見 冨久好

三十周年を祝って心から賛辞の言葉を送ります。

一口に三十年と言っても、その流れは決して平坦な道ではなかったと思います。

『草の実会』から分れ出た一粒の種が芽生えて、『合唱協会』が誕生したのは1970年の事でした。第1回の定演であった『ヨハネ受難曲』練習たけなわの頃に、万年さんから声が掛かって合唱協会と関わる事になりました。

当時は、バッハの大曲を演奏する団体は稀有で、画期的なことでありました。団員の熱い思いが常に支配して、熱のこもった練習が続き、コンサートの出来は素晴らしかった事を記憶しています。

その頃、ドイツのカール・リヒター率いるミュンヒェン・バッハ合唱団が来日し二夜連続の『マタイ』と『ヨハネ』に聴衆は感動させられました。やっと、日本でのバッハが普及し始めた頃に、横浜での『ヨハネ受難曲』は意義深いものでありました。

私は、バッハの演奏法やドイツ語の発音、発声法を教え、曲の構成やコラールの扱いを伝えた事を思い出します。私の出番は指導だけでなく、コンサートのソリストとの交渉をもして、当時国内の最高のスタッフを招聘いたしました。芸大の先輩にお願いすることが多かったのですが、原田茂生さん、長野羊奈子さん、高橋大海さん、板橋勝さんそのほか多くの方の協力を得る事が出来ました。

1970年の『ヨハネ』と『メサイヤ』は奥田耕天先生の指揮で、1971年は前田幸一郎先生でモーツアルトの『レクイエム』『メサイヤ』、1972年も前田先生でブラームスの『ドイツ・レクイエム』と『メサイヤ』、1973年からのバッハ・シリーズでは、小林道夫先生にお願いしました。

若輩の私は、合唱歴が少なく、指揮法や合唱のノウハウはほとんど独学で、『マタイ受難曲』の頃には曲が大きすぎて、限界を感じる事がありました。その後、八尋先生が招聘されて今日まで継続し、小さな木から枝葉を伸ばして大樹にしてくださいました。

今日では、多くの団体がバッハに挑戦して、それぞれの個性で演奏していますが、合唱協会のバッハは深い歴史と香りのあるバッハであり、横浜の老舗としての誇りを持ち続けてください。残念ながら、今回の『マルコ受難曲』を拝聴していませんが、きっと素晴らしい演奏で聴衆を魅了したことでしょう。

さらに神髄を求めて、栄光の合唱団になることを祈っております。

(初代指揮者)

 

30周年に寄せて

谷口 明子

創立三十周年おめでとうございます。

楽譜棚を見ますと、青焼きのコピーも含め、合唱協会で使った実に多くの譜面が並んでいます。その上「マタイ受難曲」のように何回か演奏したものもあるのですから、改めてその歴史の長さに感慨を覚えます。

初期の頃、「マタイ受難曲を歌いたい。そのためにはどんな厳しい練習でも」という当時の合唱協会の意向で、八尋先生がにっこりなさりながらも「おひとりずつどうぞ」と尻込みする団員にも決して免除することなく、くり返しレッスンされたことなど懐かしく思い出します。

時を経て1997年ドイツへの演奏旅行、2000年にはビラー教授の要請で「マルコ受難曲」の日本初演をも成功させてしまったのですから、まさに「継続は力なり」が証明されました。その輝かしい経歴は、八尋先生の、そしてヴォイストレーナーの先生方のお力はいうまでもありませんが、何よりも皆さんの多彩なプログラムへの意欲的な挑戦と、とりわけバッハに対する情熱あってこそでしょう。実際、合唱協会でなければ企画できないようなプログラムもたくさんありましたね。

音楽の歴史の中で、長く、そして重要な分野である合唱音楽、その偉大な作品群のスコアが声によって立体的に音楽となっていく過程、そこにピアニストとして身を置く幸せを感じながら、横浜合唱協会の今後の発展をお祈りします。

(ピアニスト)

 

横浜合唱協会30周年によせて

松尾 地恵子

横浜合唱協会の皆さんと初めてお会いしたのは、今から16年前になります。

その最初の日の印象が一番の思い出として残っています。

それはアマチュアのコーラスの方達は、若い方も年を取った方も巾広くいらっしゃって、職業も色々で、でも、その方達が美しい音楽を感じ、皆で合唱して作品を作っていこうと集まって練習していらっしゃるという事でした。その事に深く感動したのを思い出します。

音楽を、合唱を深く愛し、それもBach中心のプログラムですから、声楽を勉強した方ばかりではない人達には、かなりむつかしく大変だと感じましたが、美しい合唱の世界を目ざす方達には、歌って練習している時間は、きっと楽しいにちがいありません。

私はプロのコーラスの一員として永い間、仕事をして歌って来ましたが、純粋に音楽を楽しむ事の出来るアマチュア・コーラスを、時にうらやましく感じる事もあります。

合唱は、一人一人の声を提供するわけで、その声は人それぞれに何かしら障害があります。それを少しづつ乗り越えていかなくてはなりません。これからも、美しい声を求めて、いっしょに努力して行きたいと思っています。

最後に、去る8月6日の池袋芸術劇場でのコンサートは、30周年を飾るすばらしい出来ばえだったと思います。Bachを愛する皆さんの熱意がついに結晶し、キラキラ輝いている様でした。

さあ、又次に向って、いつまでも楽しく歌い続けてください。

平成12年10月7日

(ヴォイス・トレーナー)

 

30周年に寄せて

木島 千夏

30周年おめでとうございます。

私にとって横浜合唱協会は先生であり、同志でもあります。大きな集団を動かしていく組織力、運営の仕方や行動力に学び、皆様の音楽に向ける並々ならぬ情熱に、いつも刺激を受け励まされています。ドイツへの演奏旅行に同行させていただき、貴重な経験と思い出を共有できたことも、本当に幸せなことでしたし、これによって合唱協会と一層親しくなれたと思います。

ここ数年間、私はソプラノのヴォイストレーニングを担当させていただいています。一見発声とは無関係にみえる体操を主体にやっていますが、この動きをしながら歌ったらラクに声が出たとか、このポーズで歌うと、出来なかったところが歌えたという体験を、みなさんが実際に積み重ねてきて、最近は少しずつ効果を実感していただいているように思います。

これは、しなやかで強い身体(筋肉)とオープンな心(なんだか小学校の校長室に掲げられている標語のようですが)を目指しています。私達は普段、知らず知らずのうちに緊張したり身構えたり気を使ったりして、心身はどこか固く不自由になっていることが多いように感じます。その一つ一つを解きほぐしながら気持ちよくなっていけば、本来人間に備わっている声は自然と出てくるものだと思うからです。

そうして、どのようにも反応できる柔軟性と敏感さ、エネルギーに溢れたいきいきした心と身体を準備すれば、表現したいように歌うことが出来るし、また逆に私達はなにも意図しなくても、偉大な作曲家達の作った音楽はそこに存在することでしょう。歌詞を理解し、作品の背景や作曲家のことを学び、楽譜を深く読み込んで作品に近づいていく、そして演奏の場では、それらを考えることなくただ身体と心を準備しておくと、音楽の神様が降りてきて、この準備された身と声を使って音楽を現われさせてくれるのだと思います。

歌うことというのは、神秘的ともいえる不思議な魅力に満ちています。この魔力に取りつかれてしまった仲間、横浜合唱協会の皆様、これからも共にたくさんたくさん歌い続けていきましょう。

(ヴォイス・トレーナー) 

 

30周年に寄せて

小林 彰英

横浜合唱協会創立30周年おめでとうございます!

設立当時生まれたかわいい赤ちゃんは今、間違いなく立派なおじさ・・・いや大人になっている訳ですから本当に長い歴史ですね。

私はこの数年月1回のペースで熱心な男声の方々と「声は腹から、歌は心から」をモットーに勉強してまいりましたが、合唱協会の皆さんがレパートリーとしていらっしゃる曲は発声的にも難しい曲が多く、恐らく普段の練習でもご苦労なさっていることと思います。

しかしそこは合唱のいいところ、合わせた時に個々の力不足をお互いに補いながら結果としていい「響き」「アンサンブル」になればいいと思うのです。皆さんはこのテクニックが素晴らしく、本当に感心してしまいます。

横浜合唱協会はこれから先35周年、40周年と発展しながらいいアンサンブルを聞かせてくれることでしょう。でもさらに上質な演奏を目指すためにヴォイストレーナーの先生方のレッスンを利用して、個人のレベルアップに努めていって下さい。

皆さんがいつまでも合唱の喜びを持ち続けていけるよう、少しでもお役に立てればと思っております。

(ヴォイス・トレーナー) 

 

30周年に寄せて

佐野 正一

横浜合唱協会30周年おめでとうございます。

また、先日の演奏会も、記念演奏会にふさわしい素晴らしい演奏でした。

小林彰英先生の紹介で、この団に関係させていただき、まだ一年半という短いおつきあいですが、毎回、この団の素晴らしさに感激しています。演奏に対する前向きな姿勢、とても明るい雰囲気など、どれをとってもこれからも、まだまだ伸びていく合唱団であると思われます。本当に期待しておりますので頑張ってください。

ヴォイストレーナーとしてのこれからの目標は、声を出すのが苦しい人には、少しでも楽に出せるように、そして、それなりに声の出る人には、もっと品質の向上を狙っていきたいと思っています。

先日の演奏会で感じた方がいると思いますが、外国人の歌手と合唱団では、響きの高さがまるで違っていました(特にこれは、広いホールに行けば行くほど目に見えて差が出てきます)。説得力がまるで違ってきますので、あの響きに少しでも近づけるよう頑張って研究していきましょう。

私自身、独自の発声法でやっていますので、色々迷われる方も多いかもしれません。 

何か質問がありましたら、気軽にどうぞ質問してください。

それから、練習方法のホームページも作ってみました。こちらもどうぞご利用ください。

これからも末永く宜しくお願いいたします。

(ヴォイス・トレーナー)

 

タイトル:楽しいヴォイストレーニング
 ■ URL:http://homepage2.nifty.com/Mashall/index.html

 

30周年に寄せて

江上 孝則

皆さん、創立30周年おめでとうございます。

私が初めて練習に伺ったのは、坂道を登ったどこかの教会。

シューベルトかベートーベンの作品だったような気がします。
(最近物忘れがひどい。お許しを。)

『うまい合唱団だなあ。知性と感性を兼ね備えていて素晴らしい!』
(この時の印象はハッキリ覚えています。)

あれから15年後、フォーレの「レクィエム」と「ラシーヌ雅歌」で皆さんと再会。懐かしい顔ぶれに感激! ドキドキしました。フランス語の甘い母音の響きを楽しみながら(苦しみながら!)官能的に歌いました。

そして記念すべき今年は、古典的現代曲「マルコ受難曲」。共存できるはずがないと思っていた現代の書法とバッハが見事に調和。

バッハ自身の曲が奏でられる瞬間(特にコラールは)何と心に染み込んで来ることでしょう。レチタティーヴォの部分は難しいリズムや音程でした。

それにしても、苦しさと楽しさの共存する忘れ難い練習の日々でした。

回を追うたびにドラマチックになり、まるでその事件が目の前で起きているようになってきました。(ちょっと誉めすぎかな?)

そして遂に本番!

2000年の8月は私にとっても忘れることのできない夏になりました。

 

 横浜合唱協会バンザーイ!

 強い絆で結ばれた皆さん、今後のますますの発展を祈っています。

(指揮者)

 

^
top
Google
www を検索 ycs.gr.jp を検索